数多の星に見守られて。
またもや目覚めると20時で自分に対して呆れてしまった。昨日よりも眠剤を削って服用したのに、いつまでもいつまでもお蒲団から出られない。19時位に一度、母に起こされるが、直ぐ眠りの世界へ落ちる。幾ら眠っても眠り足りない。だから昨日に引き続き、今日も母と一緒にジャ○コへ行った。車に乗り込む前、夜空を仰いだ。そこには綺麗に星が輝いていて、優しく私を見下ろしていた。毎晩、美しい星空は私の上にあるのに、苦しみにまみれているとどうしても無視して過ごしてしまう。これはとても勿体無い事のように感じる。ジャ○コは店舗が大きいのと食料品を扱っているので店内はとても寒い。早く見回らないと寒くて具合が悪くなる。しかし急ぐと眩暈がしてもっと具合が悪くなる。悪循環の繰り返しなので、今日からは早目に眠る為に生活習慣を改めたい。母は昨日の1件から早出の仕事が無くなったので、ゆっくりのんびりと朝の時間を過ごしていた。焦って支度をする事も無くなり、綺麗に晴れた空の下、洗濯物を干していた。その時間もまだ起きていた私は、色々とお喋りを楽しんだ。通勤途中に見える川岸にはもう菜の花が咲き乱れている事、ピンク色の花弁をした桜がほころび始めている事等、もう春の足音が近付いてきている事を教えてくれた。少し元気が出てきたら、今年こそ満開の桜を見たいと想った。以前あんなにも軋轢のあった母と今、こうして仲良く過ごせる事は、私にとって安定をもたらしている。妹たちと一緒に住んでいた大学生の頃は、その軋みも激しく、それを紛らわせる為に自傷行為へと繋がっていた。食べては吐いて、吐いては食べて・・・と眠気が訪れるまで繰り返し、酷い時になると強いお薬を服用した後も過食を始めてしまい、吐き出す為トイレへ行こうと立ったら途中の廊下でぶっ倒れてそのまま30分程眠りこけていた事もある。その時は胃の膨張感に堪えられず、目が覚めて適当に吐き出し、歯を磨いて蒲団に潜り込んだ。また、家庭内に不協和音が生じていた頃、つまり同じ時期、お薬を多目に服用する癖があった。その時は眠っていてトイレへ行く為に立ち上がり、しかしトイレの前で力尽きてやはりぶっ倒れ、玄関から靴を脱ぐ場所の高い段差から転げ落ちた事もある。そして顎を切る怪我をして、家族は呆れていた。こういった時を経て、今、やっと素直に母と接する事が出来るようになった。『自分が変われば相手も変わる』と言うのは、主治医の言葉であるが、私に変化があったからこそ、母にも変化が現れたのである。安心して母に心を委ね、温かいお蒲団で眠れると言う事。無論病気は物凄く苦しいが、勿体無いほど幸せだと想える。『食べる事』この行為があるからこそ人間は栄養を摂取して生きていけるのである。普通の人は、この欲が満たされると『幸せ』を感じるであろう。私はもう、「お腹がいっぱいで幸せ」と言う感覚を忘れてしまった。今は、「何か胃の中にある感じが気持ち悪い」と想ってしまうのである。だからスープや野菜ジュースを何とか飲み、甘い飲み物や豆乳などで糖分・蛋白質等の栄養も摂り入れる様にしている。「このままでは駄目だ!」と言う焦りは、勿論ある。しかし、「何か1口でも食べたら止まらなくなるし、 そうなったらとても苦しい。 だから食べるのが恐い。太るのも厭だ。」と言った考えが頭の中をぐるぐると駆け巡るのである。だから徹底的に食事の時間以外は食べる事を避けているのである。このメビウスの輪の様な終わりの無い私の中のやり取りは、毎日続いている。その悪循環であるメビウスの輪をいつか鋏でちょきりと断ち切れる事を切に願っている。ジャ○コまでの道程、車の中で母と他愛の無いおしゃべりをする事がとても楽しい。お仕事の話を聞いたり、自分の話しをしたり、話題は尽きない。子どもの頃から想っていた・・・「もっとお母さんといっぱいお話がしたい」と。しかし、母は離婚前である劣悪な環境の所為で私達子どもの話を聞く余裕が無かったのであろう。そこで静々と私の病も進行していた。現在、やっと小学生の頃の願いが叶ったという嬉しい想いがこころの中でほんわかとした温もりを放っている。それをもう、凍りつかせたくは無い。ゆっくりと、まだまだ凍り付いている触る事も出来ない苦しい想いを融解していけるよう、無理をしないで過ごしたい。