物憂い暑さを、拭い去れ。
物憂さが溢れ出して、辟易してしまう。暑さの所為であろうか、それとも・・・。『虚無』というブラックホールが今も大きな口を開けて、私を吸い込もうとしている。私は側にある何かに縋り付いて耐える。もう、人間は『エデンの園』には戻れない。ユートピアなど存在しない。しかし、『知る事』を覚えた人間は、この地で知識を深めていける。けれども昨今、人間関係の中に『虚無』が侵蝕してきている。今はもう消えたモアイの文明の様に・・・。モアイの文明は、イースター島という孤立した島で栄えていたものである。そこで生きていた人間たちは、モアイ像を作る為に森を切り倒した。その為に食べ物も得られなくなり、木が無いから筏も作れず漁に行き魚を得る事もできず、全滅してしまった。現代日本に住む人物たちも、同じ事をしているであろう。生きていく為にどんどん地球を汚染している。どんどん虚無感に侵蝕されている人も、増えてきている。しかし、折角『知識の探求』という知恵を授かったのであるから、その『虚無』を見ないでより深くそれに侵されるよりは、見詰めていく方が良法なのかも知れない。閑話休題。2年位前まで私の母は、病気の私に対して凄く非情であった。妹とグルになって、酷い事も傷付く事も平気でぶつけて来た。しかし妹が出て行き、母と2人で暮らすようになってから、本来の慈愛深い母が現れた。『摂食障害』については、1万人の内9,999人の人が理解できないものであろう。そして、その9,999人の内に罹患者も含まれる。心細い・寂しい・哀しいと言った自分を受け止められない罹患者も現存しているのである。それを無視していた方が、生き易いからであると思う。なので、「摂食障害を理解して欲しい」と言うのは無理難題なのかもしれない。この苦しみは罹患した本人でしか分からないものであるし、本人ですらそこから目を逸らそうとするのであるから。私が唯一救われたのは、母は専門書などを読んで勉強して態度を変えたのではなく、自然な形で温かく見守ってくれるようになった事である。母の態度が、意図的・意識的なものであったら、余計に虚無感は増したであろう。しかし、母は自然に変わってきてくれている。勿論、まだまだ分かり合え無い事も多いし、昔の母と今の母は一致する事等ない。それはこれからの問題なのであろう。話は変わって。最近、飢餓状態からか過食衝動が酷い。今まで眠剤を服用した後は、直ぐ倒れこむように眠れていたのであるが、何か食べたくて仕方がないのである。しかし、強い眠剤を服用した後で何か食べ始めると、途中で力尽きる事が分かるので、必死に我慢をする。その日購入して食べ切れなかったものを食べたくて、食べたくて食べたくて仕方が無い。何処まで貪欲なのであろうか。それを『眠剤を服用したという既成事実』『過食嘔吐を繰り返したら太ってしまうという恐怖』とで我慢する。抑えつける。なので、夜になると過食衝動が爆発してしまうのかも知れない。今の所、主治医は無理矢理過食と嘔吐を抑える必要は無いと仰る。その反動が恐いからである。母が少しずつ変わってきているという事・・・それは、母も自然体に生きる事が出来始めていると言う事であろう。そして、母と私の中にある可能性を信じたい。可能性は決して『虚無』ではない。『虚無』と反対側に在るのが『可能性』なのであるから。ゆっくりと今を生き、焦りすぎる足を如何にか落ち着けてこの地をしっかりと踏みしめて生きたい。