温もり溢れる団欒の中で。
季節では残暑とは言うものの、外は炎暑であり呼吸するだけで、胸が気持ち悪くなりそうであった。祖父母の家に行く為に、眠剤を削って服用した。過食嘔吐の疲れで、中々起き上がる事はできなかったが、何とか頭を覚醒させてシャワーを浴び、支度をした。久し振りに、祖父母と会う事ができる喜びを噛み締めた。酷暑の中、冷房の効かない車での移動はきついものがあったが、祖父母と会える嬉しさの方が勝っていたので、乗り越えられた。到着すると、既に妹と姪は来ていて、皆での食事を待っていた。祖母の作った料理、母と私で購入したサラダ・惣菜類を食卓に並べた頃には、姪が飛びつくように食べ始めたので笑いを誘ったものである。姪は、大人顔負けな程に大食漢である。なので、姪の方に皆の目が行き、私が何も食べてないと言う事には気付かれなかった。持参したお茶を飲みながら4世代の団欒を楽しんだ。祖父の機嫌も凄く良くて、姪と遊んでいる時、とても楽しそうにしている姿が今でも目に焼きついている。私は、ここぞとばかりに携帯電話で、『ひいじいちゃんとひ孫』そして『ひいばあちゃんとひ孫』という温かな情景溢れる写真を撮った。祖父母にとってはひ孫との触れ合いとなるので、嬉しさも一入であったのであろう、母を含めこの場の雰囲気は和み、笑顔と温もりで溢れていた。残念ながら、弟はかなり遅くなってから到着したので妹達は所用の為に帰った後であったが、弟とも久し振りに会話を交わせたのがとても嬉しく思えた。今日の難関はやはり『みんなで食事をする団欒の場』であった。目の前に美味しそうな料理・・・食べ物が並べられ、本当はお腹一杯それらを堪能したかった。しかし私は何か一口食べてしまうと、止まらない。みんなが食べ終わっても、一人延々と食べている状態になる。そうなると場の雰囲気を壊してしまい、皆に不快感を与えてしまうであろう。だから私は食べ物を目の前にしても、会話を楽しむようにした。祖父は認知症なので、私の名前を良く間違える。親戚に私と似た名前の子がいるので、どうしても混同してしまうようである。そして祖父の脳を働かせる為にも、「惜しい!私は○●ちゃんじゃないよ。思い出して。」と促すのである。そして暫し祖父は考え込むので、「“な”は合ってるよ」とヒントを出すと、漸く私の名前を思い出してくれるのである。一発で名前が出てこなくても、私の顔を見て喜んでくれて満面の笑みを見せてくれるだけで、充分である。心が凄く満たされる。団欒の場で過食に走らなかった事、楽しく和やかに過ごせた事。それを達成出来ただけで、とても嬉しかった。何だか自分の思想を綴れず、報告の様な文章になっているがそれ程嬉しい1日を送れたと言う事である。祖父母の写真を姪と共に、自分の携帯電話へ収められた事が何よりも嬉しかった。これで、祖父母が恋しくなった時、いつでも会える。夜、母は食事をたっぷり摂って眠り、祖父も眠ったので祖母と二人で近くのしま●らという安い洋品店に洋服を買いに行った。最早祖母の家に行くと、一緒に洋服を買いに行くと言う習慣が出来ている。行った時間が遅かった為に、着いてすぐに“蛍の光”が流れ始めた。しかし、急いで安値の洋服を一生懸命探し、欲しかったデザインの帽子も購入できた。半年振りに洋服を買えたので、とても嬉しかった。そして祖母と一緒に過ごせる時間が、幸福に感じられたのである。きっと、目の前の料理に負けて『過食嘔吐』をしてしていたら草臥れてしまって、外に買い物へ行く事は出来なかったであろう。様々な会話を交わすキャパシティーも残っていなかったであろう。閑話休題。ニュースを一緒に観ていて、終戦記念日である事もあり、戦争経験者である祖母に、玉音放送を聞いた時の気持ちを聞いてみた。祖母は戦火によって自慢のロングヘアーがごっそり焼け落ちたというショックを負っている。戦争が終わった事によって、「やっと明かりを点けられる。空襲警報を聞くことも無くなる。食べ物を食べられる。解放されたように感じたよ。」と、終戦を迎えて安心した想いを語ってくれた。今、戦争を行なっているイスラエルとレバノンに関しても、未だ戦火に怯え、食べられる保証も無く、いつ死が訪れるか分からない恐慌をきたしている事であろう。戦争は、国のお偉い方々には有益な手段かも知れないが、その国に住む、何の悪事を犯していない人の命を容易く奪うのである。1発の空爆で、一体どれだけの命を失うのであろうか。戦争であれば、人殺しも正当化される。平和を求めている世界が、幾ら様々な理由、混沌とした情勢があるといえども、子どもの命が喪われていく事は悲劇以外の何ものでもないであろう。そして私は、終戦記念日であった15日、祖母の家で、密かに他の部屋で黙祷を捧げた。話は変わって。前回に続き、今回も祖父母の前で異常に食べ物を食べ続ける私を見せ付ける事が無くて済んだ事に、達成感を覚えた。雰囲気を大切にする為には自分の強い欲求を抑える事も必要であるし、その術を得られたようにも感じる。祖父は82歳。祖母は80歳。この夏の酷暑にはかなり参っているようであるが、こうして未だに元気にしてくれている事が、私の喜びである。だから私の事について、いらぬ心配をかけたくない。出来る限り、楽しく暖かい時間を過ごしていきたい。後悔の無い様に。親族の暖かさを感じつつ。それらに感謝の念を忘れる事のないように。また次回、団欒の機会を得られるまで、様々な苦しみに耐えながらも、ゆっくりとした自分のペースで歩んでいきたいものである。