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テーマ:■ヨガ・ピラティス■(2560)
カテゴリ:心と体
毎日やろう!と思って、本を見てポーズをまとめた腰痛ストレッチ集。(無断転載禁止) 腰痛がいまいちスッキリしない... ひどくはならなくなったものの、あるヨガポーズをすると痛みが出て、十分に楽しめない。 このままはイヤだな〜。 なにも痛くなかった頃に戻りたい!! と思い、ずっと気になっていたヨガの ACO先生の「腰痛改善ワークショップ」に申し込み、行ってきました! ↑ 拡大して読んでね! このWSを知ったのは、2010年でした。 →記事 https://plaza.rakuten.co.jp/iddmkappamaki/diary/201002080000/ 当時は開催されてもすぐ満員で入れず、先生に「あのWSいいですよね〜」と言ったら、ヨガッパファンだったACO先生に「あの講座の元ネタになった本があるから読んでみて」と教えてもらったのでした。 「サーノ博士の ヒーリングバックペイン」 http://lowback.jp/books/healing_BP.html 病気やケガではない痛みの正体は「TMS」(緊張性筋炎症候群) そして実際に体で起こっている痛みの直接原因は「血行障害(酸欠)」です。 ザックリした内容: ケガや病気ではないが 腰(首・肩)が痛いからと病院に行くと、診断をつけるために「どこか問題がないか」と探すので、レントゲンを見て「ここが原因でしょう」と言われることになるが、同じ様になっている人を調査してみると痛みのない人も多いので、それが痛みの原因ではないとわかる。 例えば「椎間板ヘルニア」は、たくさんの人がなっているが痛みがない人がたくさん存在している。「ヘルニアだから痛い」のだとしたら、全員に痛みがでているはず。 椎間板がつぶれている、脊椎が変形しているなどは、年齢により誰もがなる正常なエイジングで、痛みとは直接関係ない。 手術やマッサージをして良くなるのは、これをすればよくなると信じる力による「プラシーボ」。 直接原因は血行障害なので血行をよくすると痛みも緩和されるが、根本治癒にはなっていないので時間が経てば繰り返すことになる。 人の体はとても頑丈にできていて、ちゃんと二足歩行に適したつくりに進化しているので安心していい。 骨や筋肉もシミ・シワのように見た目にエイジングはすれど、一生ガンガン使えるようにできている。 <TMS理論> TMSとは、心が起こす痛み。 ストレスで胃が痛くなるのと同じように、心の問題で体がほんとうに痛くなる。 本人も無自覚な「奥底に閉じ込めておきたい心理的問題」から目をそらすために、脳が「痛み」に夢中にさせている。 脳にとって痛みは最高に便利なツール。 ある程度痛みを与えたら、痛くない時でも「痛くなるかも」とパブロフの犬のように反応してしまい、一日中痛みのことが頭から離れず夢中になる。 脳に「痛みを与えても無駄だ」と知らせるには、痛みが起こったら、心の問題に目を向けることだ。 この本は、何年も腰痛に悩んでいた上司に貸したら、いちいちガッテンすることが書いてあったそうで、「腰痛仲間にも読ませたい!」と、自分でも1冊買っていました。 長く患っていたり、腰痛の人のいろんな体験話を聞いていると、より腑に落ちるみたいです。 わたしは本を読んだあと、身体的・構造的には問題がないのだと知り、 「わたしの腰は一体どうなっちゃうんだろう!?」と未来に抱いていた不安はなくなりました。 それでも実際に痛むので、「こうすると痛くなる」と一度学習してしまったために、用心して動いたり、痛くならないための体操(上のイラスト)をしたり・・・結局痛みに夢中になったままでした。 ACO先生は朗らかで、ヨガクラスも笑いの出てしまう楽しい言い回しをよくされます。 腰痛体験談を交えてのお話は、とてもおもしろく正直で、「うん、わかるわかる」とすんなり入ってきました。 ご自身がひどい腰痛に悩んでいて、ビクビクして暮らし、様々なタイプのコルセットを持ち、湿布やらテーピングやらドラッグストアに毎月何万も使っていたんだそうです。 サーノ博士の本で改善したけれど、心が理解できるまで何度も何度も読んだそうです。(わたしももっと読もう!) 訳者の方の講座にも通い、勉強したそう。 そうして自ら悩み、勉強して、助けになったいろいろな知識を、このWSで教えてくれてるわけです。なんてありがたい! まず、「目を背けている自分のイヤな心」が実はあるんだと気づくこと。 「もうバレてるから痛みに夢中にさせる必要はないよ」と脳に繰り返し言い聞かせること。 痛みを恐れずに、少しでもいいので動き続けること。 イヤな心とは、「こんなこと思ったらいけない・・」とされる気持ち。 『良い人』のはずの自分を壊す可能性のある気持ち。例えば、 親しい人を妬む気持ち。「あの人ばかりズルイ」 愛する人を疎む気持ち。「この子がいなければラクなのに」 などなど・・・ ヒドイことも思うのは当たり前のこと、人間というのはそういう醜い面もあるものだと自覚する。 それでも、性格を直したり、聖人をめざさなくても、そのままの自分でいい。 これを聞いて、高校の授業で習った親鸞上人の言葉を思い出しました。 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」by. 親鸞上人 突然仏教の言葉がでてきて「えっ、なに!?」と思ったかもですが、この言葉の説明を聞いて「なるほどな〜!おもしろいな〜」と感じたのでよく覚えているんですよね。 この言葉の意味は、 「自分が善人だと思いこんでいる人間が幸せになれるなら、 自分は悪いやつだと知っている人間が幸せになれないはずがない。」 ということです。 犯罪を犯していなくても、これっぽっちも悪いことをしなかった(願わなかった)人なんていません。 逆にいえば、犯罪を犯したのに自分はいいことをしたと思っているのはここでいう「善人」だといえます。極端だけど。 罪の大小や人からの評価ではなく、真の自分をみつめて内省をしているのか、そこが大事ということです。 誰の中にも、悪い心はある。 ACO先生が言うには、より大がかりな「良いこと」をしている人ほど、TMSにかかりやすい傾向にあるそうです。 災害ボランティアに行ったら、尽くしてよく働く人ほど、人に「ありがとう」が言えてなかったとか。 いい人と思われたい。自分の中に悪い面があってはならない。 いけない自分を亡き者にするために、「良い人キャンペーン」をがんばってしまうんでしょうね。 「良い人間」と「悪い人間」が別々にいるのではなく、だれにでも良い面と悪い面があるということ。 いい環境で育てば良い面が素直に出て、そうでないと良い面が隠れているだけかも..。 ACO先生は、有名な先生のことをひどく失礼に言ってたことがあり、よく突き詰めていくと「自分もそうなりたい..とうらやましかったんだ。」と気づいたそうです。 突き詰めて考えていくと、自分のコンプレックスが見えてくるんだって。 人気のモデルやタレントの悪口を言いたくなるのもそんな心理なのかな〜。 悪口じゃない言い方でも、「あの人は素敵だね。でもXXXXだよね」と言うのは、最後のXXXXが一番気になってることなんだって。 怒りの中に没頭しないで、「いま自分は怒っているんだな」と感じること。 病気で体が辛い時も、「不安」で痛みが増幅するので、不安なんだと気付くこと。 嫌いな人がいるとその人のなにもかもが嫌いに思えてくるけど、実はほんの一部がイヤなだけってことに気づくこと。(人だけでなく物事も) そうするととてもラクになります。 そんな心の中を理解した上で、次に、実際にどうすれば痛みが和らぐのかの『体の使い方』を学びます。 ---後編につづく--- コーヒーフェイス出た♡ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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