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カテゴリ:車、鉄道、システム、オタクネタ
統一地方選挙も後半戦に入り、私の住んでいる新宿区は区議会選挙ということで、候補者達が路地の中まで拡声器を持ってうろうろしている。保育所の横にある候補者のポスター掲示場所には所狭しと候補者のポスターが貼られている。
候補者陣営は必死で、組織票を集める人や、不在者投票の場所まで案内してくれる方など、様々な方法であの手この手で票を固めていく。 そんな選挙の様子を見ていて最近気づいたことがある。 「選挙って数えるから世の中が良くなりにくい」ということである。 選挙の様子を見ていて、ふとバンコクで出会ったミャンマーで出家したお坊さんが「人は数えるから優しくなくなる」と言っていたことを思いだしたからである。 人は数えることで数字に執着してしまい他人に優しくなれなくなりやすいのだそうだ。 たとえば、信念を持っている人がいたとして、その候補者が思ったほど票数が伸びないとの予想が出たため、票数を獲得しないといけないということで、自分が思ってもいない対立候補の言い分を途中で公約に入れたりすることがある。確かにそれで票が取れて当選するかもしれないが。心にもないことを言ってまで魂を曲げて当選したとして、本人は気持ち悪くないのだろうか。もし、気持ちが悪いのならば、そのことで心が乱れ、判断を間違えかねないこととなり、多くの人に関係する政治をおかしくしてしまいかねない。 また、当選してから、途中で公約に入れたことを撤回もしくはそれに近いことをする人がいるが。言い分を変えた事で、投票した人を裏切ることになる。裏切ることで、本人は気持ち悪くなることはないのだろうか。これも同じく、気持ちが悪いのならば、そのことで心が乱れ、判断を間違えかねないこととなり、多くの人に関係する政治をおかしくしてしまいかねない。 こういう人は、やさしい人なのだが、一方では、これらの事をやって、気持ち悪いと感じない人がいる。 こういう人は、やさしくないから、他の人に優しく出来ず、関わる人を不幸にする。関わる人が不幸だと、自分も不幸になりやすい。だから、数に魂を売ってしまうと、魂を売ってしまった本人はろくなことがない。 そうそう、長崎の方で候補者が殺されるという事件があったが、どうも多額の金額という数字が動く工事と関連しているのではと報道されている。大きな数字が好きだから、関わったのだろうけど、他の人も同じように、いや、それ以上に数字に拘っているから、数字に魂を売ったりしている人もいるだろうし、その人たちに憎まれたり妬まれたりしやすい。 #暫くして、亡くなったとの報道がありました。ご冥福をお祈り致します。 先ほど、関わる人が不幸だと、自分も不幸になりやすい。と書いたが、選挙で勝った結果どうなるかというと政治の場で活躍することとなる。多くの人に関係する政治ですから、関わる人の人数がケタ違いである。 もし、関わる人を不幸にするような、やさしくない人がその立場にいると、多くの人を不幸にしかねない。 選挙は、票数という数字に拘らなければなかなか勝てない。これは、こういうシステムなのだから仕方がない。 言い換えれば、数字に拘り、数字に執着し、挙げ句の果てに数字に魂を売った人が結果を出しやすく。数字に拘る、やさしくない人が、多くの人に影響を及ぼす立場になりやすい。 だから、選挙でなかなか世の中が良くならない。 ほらほら、数字に拘ったり、大きな数字が好きそうな人が政治の場にたくさんいるでしょ。 でも、決して幸せそうに見えないよね。 そんな人がしあわせそうな表情をしているのは、有名人と会ったり美味しい料理を食べている時の写真が多い気がする。 (でも、それを一部の人に限って報道しすぎるのもなんですよね。 その一部の人が、素に戻った所を捉えたものだけが流されると、多くの人がその一瞬だけをインプットしてしまい。その一部の人が票を稼ぐときに有利なんですよね。ちょっとアンフェアかも) とはいえ、投票しないと、ますます数字に拘りすぎてやさしくなくなってしまった人が、多くの人に影響する場所に居座らせてしまう。だからといって、本人だけでなく、その取り巻きの人たちも、票を固めるという、数字に拘る活動をしているわけだから。どうしても、似たようなものに見えてしまうので判断がしにくい。困ったものです。 数字とどのように付き合っていくか。人間が何かを所有し、それを数字で表すようになってから始まった、人類にとっての難題に違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.19 01:43:25
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