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カテゴリ:生きること、自然、そして、環境
炭住街を後にしてシューパロ湖に向かう。
清水沢からシューパロ湖のある大夕張に向かう。 実はここ夕張に向かう途中、八戸から苫小牧までフェリーに乗ったのだが。そこで偶然隣り合わせた方が夕張で生まれ育った方だった。その方が生まれ育った所がダムに沈んでしまうのだそうだ。彼は今、札幌に住んでいるが、そんなに遠くはないにしても、なかなか夕張まで行けないのだそうで。私が夕張に行くと聞いて、是非見てきて欲しいと言われた。 その町がシューパロ湖のあたりにある夕張市鹿島地区だ。 この町には、私のちょっとした思い出がある。私が子どもの頃、スーパーカーブームの前にあった、ブルートレインブームの時に買って、すり切れるまで読んだ全国の私鉄の本に「三菱大夕張鉄道」が書かれていた。この鉄道は、蒸気機関車で乗客を乗せて走る最後の鉄道会社として紹介されており。しかも重量級の客車に使われているため、三軸ボギー車が走っていた。普通は電車の車輪は2軸がついた台車が二組ついているが、三軸ボギー車は一つの台車に3つの軸がついているのだ。だから線路の継ぎ目を通過するとき、普通の「ガタン、ゴトン」とはまた違う音がする。しかも石炭ストーブ付の客車だった。いつか、北海道を旅することがあれば乗ってみたいと思っていた。だが1987年に廃止された。 国道を走っていると、スリーダイヤモンドのマークのついた6両の車両が置いてあるのが見えた。ここが南大夕張駅跡地だ。工事事務所がすぐ横にあり車を止めづらい雰囲気があったので横を通過する。 ちなみに、この工事事務所、国道の工事をするためのものだ。どのような工事かというと、大夕張ダム(シューパロ湖)の水面を25メートル嵩上げすることにより、国道が水没するため、国道の付け替え工事とその関連工事をするためにあるのだ。 このシューパロ湖自体も人造湖として作られ、水没予定地区にあった森林鉄道のために三弦橋という橋を建設したにもかかわらず、伐採による木材の輸送が鉄道からトラックに移行し、1963年にわずか5年しか使用せずに森林鉄道は廃止されてしまった。 夕張新鉱にしろ、三弦橋にしろ、大規模な開発にもかかわらず、短期間しか使用せずに廃止してしまう。リスクが増大する前に廃止するのは、経営判断としては正しいと思うが。今となってはいくらでも言える話だとはいえ、時代の先を読み、使用する前に止めるという判断ができなかったのだろうか。開発において多額の税金などが投入されたため判断が鈍ってしまったのであろうか。 この三弦橋。構造がとても珍しく産業遺産として非常に価値の高い橋梁と言われているが。 嵩上げ工事が完成するとここも水没してしまう。 水没するということで作ったにも関わらず、今度は水没してしまうのだ。 そして、土木工事により沈むというのに、土木工事により作られた産業遺産だから保存しようという。なんという皮肉だろう。 シューパロ湖とともに夕張岳が美しく見えるポイントにつく。 遠くに望む夕張岳は、大自然そのものである。 だが、我々のいる隣には、巨大な橋脚が立っている。 ここも、シューパロ湖に沈むのだ。 上を見上げてみる。 空高く橋梁部分が見える。 おそらく、ここから将来の水面まで15メートルから20メートルはあるのでしょうか。 すでに、大夕張こと鹿島地区はシューパロ湖が出来たときに沈んだ部分もあるのだろうが、今度は本当に沈んでしまうと実感した一瞬だった。 1960年代当初は2万人を越える人が住んでいた石炭で栄えた町がこれで完全に沈んでしまう。 そして、地図から消える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.24 22:39:33
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