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これはもう十何年思っていることですが。
「がんばろう○○(地名)!!」というスローガンにうんざりしてるんです。 阪神大震災の時に「がんばろや神戸」あたりから、「がんばろう○○(地名)!!」というスローガンが目につきだしたわけだが。そのころからうんざりしていたというわけです。 どういうことでうんざりしているかというと、「がんばろう」という事が本当に当事者のためになるのかということに疑問があるからなんです。 まず、頑張っている人に対し、他人が「がんばろう」って声をかけるってのは失礼だと思うんですよね。災害や災難に遭っている人は、いやおなしに頑張らざるをえないわけです。だから、頑張り続けるために、自分たちで声を掛けるのは仕方がないことだと思うんです。 そのいっぽうで、自分は頑張っていないのに、頑張っている人に、さらに頑張ってもらうために「ガンバレ」と声を掛けたい気持ちはわかるんですが。本当はとても無責任な行動だと思うんですよね。それに気づかずに「がんばれ」というのはさらに無責任だと思うんです。 スポーツなどでガンバレって言うケースは、ルール上観客が手を出せないからこそ、言葉でそう言わざるを得ない部分があるとは思います。 また、災害や災難に遭っている人の中には、頑張っても頑張りきれない状態の人が多く含まれます。そういう人に対し「がんばろう」というのは酷です。もう十分に頑張っているんです。中には「がんばれ」と言われたことで励ましになって、動き出す人もいるわけですが。頑張れる状態にならないと頑張ることが出来ないわけです。 さらに、頑張ることが出来ない状態の人に「がんばれ」というのは、その人の命を削ることになりかねません。 場合によっては、命を削りすぎたため自らの命を絶ったり、頑張ったことで精神が切り刻まれてしまい社会生活が送りにくくなる人も出てきかねません。 スローガンは多くの人に届く者言葉であるだけに、「がんばろう」という言葉だけでなく、言葉の持つ危険性を理解した上で検討してもらいたいところです。 次ぎに、経済的な面ですが・・・ 「がんばろう○○!!」というスローガンは、自治体や企業が大々的に使うケースが見られます。自治体にしろ企業にしろ、公的か私的かは違いますが、いずれも大きなお金が動く組織です。つまり「がんばろう○○!!」は、お金を動かすことに使われるスローガンでもあります。 災難に遭ったところにお金が集まることはいいことなのですが、問題はどのようにこのお金を分配するのかということです。 このあたりが不明確な場合が多いんです。 「がんばろう○○!!」と書くだけで売れる商品があるわけですが、実際に災難にあった人や困っている人にお金が分配されないケースもあり得るんです。 まず「がんばろう○○!!」と書くだけで売れたことで企業なりが儲けて終わりのケースがあります。まあ企業も被災していたりするので、復興の役に立てばいいのですが。中には便乗もあったりします。 便乗じゃなくても、復興を理由に他の地域の企業なりが入り込んで、集まったお金を災害なりにあった地域に殆ど落とさずに、持って行ってしまうということがある。仕方がないんでけど、それだけに解せない。 この6月に外資系の会社が出しているチョコレート菓子のパッケージに「がんばろう夕張!!」と書いて販売し、1箱あたり10円を「幸福の黄色いハンカチ基金」に募金するというもので、アイデア自体は非常に面白いとは思う。 ただ、少し気になる事もあって。支援がなくなるとたちどころに生活に困ってしまう弱者を支援するような福祉施設などへのお金は良いんですが。ページに書かれている使用目的の一部に、かつて財政を圧迫する原因の一部を作ったであろう事業に注ぎ込まれるものや、運営を委託されている企業に使われてしまう可能性をもった項目もみられる。 財政再建団体になって、税金が自由に使えなくなった変わりに、税金ではない別の財源を作り、それを使って継続的に従来通りに近いサービスを行おうという発想なのはわかるのだが。 従来通りでいけば、当然問題点も従来通りになるわけで、どのように見直しが行われるのかに注目したいところだ。 これから人口がさらに減ることが容易に予想されるだけに、話題性やイベント性のある事業に惑わされることなく、身の丈にあったまちづくりや生活をする基盤を整備する事が、早い財政再建に繋がると思われる。 良い意味でも悪い意味でも「夕張ブランド」は絶大なだけに、話題性やイベント性のある事業に惑わされる可能性が高いので、私はそのことを危惧しています。 話題性やイベント性のある事業というのは、恐ろしいもので、時には人を狂わせます。 とくに悲惨な目に遭ったという状態の所が、話題性やイベント性のある事業をすると、簡単にお金が集まってしまうんです。そうすることで「もらいぐせ」が出来てしまうんです。 それが、人としての誇りが見られないような行動を平気でしてしまう。 また、比較的自由に動かせるお金を大量に持つことの危険性もあり、ずさんな運営の温床となりやすい。しかも、金額が多いと、どういう人がどういう気持ちでお金を送ったということがわからなくなってしまうんです。 そのあとは、どのようにしてお金をもらおうとか、穴を埋めてもらおうという発想で、お金を集め出す。「可哀想」であればお金が出やすいこともあり、「可哀想」を装う人まで出てきて、見てて痛いです。 しかも「がんばる人」というのは、「可哀想な状態の人」であればあるほど、一般にウケるんです。スポーツ根性漫画の主人公って、ほんと「可哀想な状態の人」が多いのはそのせいです。 さらに、お金によって、自分たちで助け合って何かしようという共同体の意識が崩れることがある。いままで、非常時は自分たちで助け合うという事でやっていたコミュニティが、お金が集まり、支援をしたことに報酬が出るようになったとたん、コミュニティの伝統や文化が壊れていったという事が起こる。これは、スマトラ島沖地震の後、インドネシアのアチェで実際に起きたそうだ。 ちなみに、私は、この「幸福の黄色いハンカチ基金」は成功し、良い前例として喧伝されると予想しています。 さらに成功事例として夕張がモデルとなったとき、そのモデルが他の財政再建団体の再建の参考にならないという事が発生するのではないかということが考えられる。。 他の自治体の参考にならない理由として「最初の事例」「街の規模」「夕張ブランド」という3つの事があると考えています。 たとえば、夕張が財政再建をしつつも、様々な事業を維持出来る状態になった時。これまた、たとえば、大阪市又は大阪府とか神奈川県が財政再建団体になったとしたらどうでしょう。 ブランドはあるにしても、規模が大きすぎるため、必要なお金が集まらない事が考えられるのだ。 阪神大震災の数年前に、北海道の奥尻島に大きな津波が襲った事があった。多くの人が家を失ったという報道がなされ。このとき集まった義援金で家を再建するというモデルが出来上がった。 しかし、数年後に起きた阪神大震災は、奥尻島に比べ規模が大きすぎたため、全壊した家に対し20万円程度という住宅再建には程遠い金額しかお金が出なかった。 大阪市など百万人単位の街が財政再建団体になってしまうと、1万人少しという人口の少ない夕張モデルは通用しない。 おそらく、おそろしい社会不安が起こるでしょう。 (もっと恐ろしいシナリオとして日本政府が破綻するというものもある) また、別のケースとして、たとえば、無名の特に特産物のない小さな町が何件目かの財政再建団体になったとしましょう。この町を「A」とすると。「がんばろうA」と書いた御菓子は発売されるのだろうか。 やはり、夕張は特別なんです。 特別な町ほど「がんばろう○○」ってキャンペーンが立てやすい。 阪神大震災の場合「がんばろう神戸」「がんばろう長田」は成立しても、「がんばろう尼崎」「がんばろう西宮」「がんばろう芦屋」「かんばろう宝塚」「がんばろう五色町」「がんばろう灘」なんてキャンペーンをやっても多くの人は見向きもしない。町の知名度が高かったり、一番酷いと報道された所にしか「がんばろう○○」というスローガンは使えない。 注目されたところは、いろんな支援が集中する。集中するからこそ、周辺部には人の目が行き届かなくなり、支援が十分に行き届かなくなる可能性がある。どこに居ても、困っている人は困っている。 そういう事に気づいた時から、「がんばろう○○(地名)!!」ってスローガンに違和感を感じだし。そのうち、うんざりしたきた。 その一方で「がんばろう○○(地名)!!」というのは、ことあるごとに、決まり文句のように使われ続けている。 今回、夕張の基金の話を出しましたが、まだ始まったばかりで、これからどのようにお金を使っていくのかを検討していく段階だと思うのいます。 これから、同じ境遇に合う自治体も出てくるだろうと思うので「最初の事例」「街の規模」「夕張ブランド」に頼らない自分たちの身の丈にあった、成功事例を自分たちで知恵を出し合って作ってもらいたいと期待しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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