カテゴリ:ディズニー
香取貴信さんの著書名を拝借するならば、私は社会人として大事なことは全てディズニーで教えてもらいました。
(株)オリエンタルランドに勤めていたのは、1987年から1993年まで。 私が最初に配属されたのは、商品部(いわゆる、おみやげもの部門)。いえ、最初もなにも、最後まで商品部だったのですが(笑) 最初の2年間は、パークの中のおみやげもの屋さんに勤務。アルバイト(準社員といいます)の勤務管理とか商品の補充とかレジ打ちとか、そんな仕事を毎日やってました。 あとの4年間は、商品の企画。どんなディズニーグッズが喜んでもらえるか、何個作って、何円なら売れるか・・・当初はそんなことばっかり毎日毎日考えてました。 まだ開園して間もない頃で(4周年の年に入社)、今のように大規模なリゾートエリア経営ではなく、売りものは東京ディズニーランドだけ。今でこそ東証1部上場企業ですが、当時は歴史も実績も浅い、いってみればベンチャー企業に毛が生えたようなものでした。 ここで学んだことを全部書くと、それこそ本が書けてしまうくらいなので、今日はそのごく一部、商品開発に関することの、そのまたごく一部だけを書きたいと思います。 (以降、ディズニーの話はたびたび登場してくると思いますので、そっちに興味がある方も是非。) 私が商品部商品第一課に配属されたのは24歳のとき。 いわゆる商品企画の担当者としては最年少でした(同時に配属されたI君は、さらに1つ下でしたが)。 あとの数十人は、全員がオジサン。そしてわずかにいらっしゃるオバサン。・・・・先輩方、申し訳ありません・・・でもそう感じてしまいました。 こりゃあ若いセンスを出して行けば、楽勝だな、と思いました。 実際、開発商品のヒット率は高かったと自負してますし、かなり成績は良かったと思います。 けれど、若いセンスが良かったわけではなく、私(とI君)だけが、実際に東京ディズニーランド(R)の売り場を毎日毎日見てきた経験を持ってたんです。 ですから、お客さまの目線がわかる。 例えば・・・お子さまが「欲しい!」と思うような商品は、棚の上で重ね置きしては絶対ダメです。立てておかないとお子さまから見えない。立てられないなら、ぶら下げる。ぶら下げるための什器とセットで販売する。 こんなのあたりまえのことですが、当時はそんなことすら考えられていなかったんです・・・ それから、おみやげものとして何が良いか、商品企画者はそれを机の上で考える。または業者さんの提案を受け、行けそうかどうかを判断する。行けそうだと思えば、商品化する。 ・・それまではその手法が一般的でした。 でもそれじゃあ、ありきたりのものしかつくれません。当然、お客さまにとっては、「どこか他で見たもの」の「ディズニー版」だと見えてしまう。 でも!私はパークを熟知してますから、どのアトラクションでどんなキャラクターがどんなセリフを言い、お客さまがそれを観たあとにどんな気持ちになるか・・・そこから考えたら、新商品はいくらでも思いつく。 東京ディズニーランドに行かれたことがありますか? あればご存知でしょう。例えばミニーマウスのカチューシャとか、夜になると皆が持ってるヒカリモノとか・・・ああいう感じのものを売り出していったわけです。 で、当然に売れちゃうわけです。 売っちまえば、あとは楽。ベンチャー企業ですから、売上げに貢献すると、提案商品も採用(決裁)されやすくなる。 部長:「(こんなものを20万個もつくって)売れるのかね?大丈夫なのかね?」 私:「絶対大丈夫です!(俺が言ってんだから、つべこべ言わずにハンコ押せよ!)」 部長:「価格が高すぎるんじゃないか?」 私:「適正です!この値段でも、きっと20万個は3ヶ月で売れます!(これの価値がわかんねえのかよ!高いか安いかはお客さんが決めるんだよ!)」 部長:「慎重に、慎重にな。」・・・・・押印。 こんな感じで、今思えば恥ずかしくなるくらいにつけあがってました。 そこへ登場したのが、(後に私の生涯の恩人となる)S崎さん。新任の部長としてやって来ました。新任とはいえ、東京ディズニーランドオープン前後の商品部門を一手に掌握していた人物の返り咲きです。 私はそれまでS崎さんを全く存じ上げなかったのですが、周りの皆は、文字通り震え上がってました。あのS崎さんが帰ってくる!!!!!と。 一方、私はといえば、どんなオヤジがやって来ようが俺の実績を無視するわけにはいかないはずだ。まあ、実績のない奴は怖がってればいいさ。 なんて感じてました。井の中の蛙が天狗になるって怖いものです。 で、 またまたつづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/01/25 06:27:50 PM
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