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碁法の谷の庵にて

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2024年10月15日
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袴田事件で、長きにわたる再審争いが終わり、袴田巌氏の無罪判決が確定いたしました。
おめでとうございますというのは変だと思いますが、自分としては他にうまい言葉が見つからない状況です。



 袴田事件の再審公判では、検察の執拗なまでの抵抗も一つのトピックでした。
 再審開始に抗告したのみならず、再審公判で有罪立証をはじめたのは、驚いたり憤ったりした人も多かったと思います。

 むろん、実際に有罪判決になったのであれば、それもよしでしょう。
 少なくとも、自分としては報道されている内容と一般的な法的知識以上に証拠関係を検討していないので、確定前から検察がダメだなんだと噛みつくようなことは避けてきました。

 しかし、結果は静岡地裁で無罪判決確定となり、検察としては屈辱的事態になったと言えます。


 では、なぜ検察がここまで必死に噛みつき、最後っ屁的なコメントまで出しているのか。
 それについて一つ思い当たることがあるので今日はそれを纏めてみます。




 日本の刑事裁判において、提出される証拠の多くは、警察官が作成した報告書です。
 報告書なしで犯罪立証は不可能に近いと言ってもいいでしょう。
 被告人の供述調書すら、警察官の作った供述内容に関する報告書という側面もあると言えます。


 袴田事件で問題となった、味噌タンクから出てきた犯行時の着衣とされる衣服を例にとってみましょう。
 しかし、仮に実物の衣服を法廷に持ってきたとしても、それだけでは裁判官としては「この衣服は何?」でしかありません。

 「この衣服はいつどこで発見されたのか」というのが別途証明されてはじめて「これはいつどこで発見された衣服なのだな」と分かるわけです。
 これらが整ってはじめて「これは袴田が犯行時につけていた着衣である可能性が高い」という理屈につながり、有罪立証に繋がっていくわけです。
 
 そして、こうした証明は「警察官が発見状況の写真などをつけて報告する」形で証明するのが通例です。
 発見した警察官を法廷に呼び出して供述させるという手ももちろんあるわけですが、それでもその場で撮った写真や速やかに作成した記録類の正確さには敵わないでしょう。

 しかし、これらの証拠は警察官が報告しているという形でフィルターがかかるものです。



 一部の失敗国家では、警察が市民に賄賂を要求し、賄賂を出さないことを理由に適当な犯罪をでっち上げ、刑務所に叩き込む、下手すれば死刑で命さえ取っていくなんて事態が後を絶たないと言われています。
 日本の警察に何一つ問題がない等とは口が裂けても言えませんが、それでも日本くらい警察が市民から信頼され「警察が言ってるならそうなんだろう」という状況が出来ている国は珍しいです。
 警察発表を前提にマスコミが事件報道をし、その事件報道に基づいて犯人に対して怒りを表明する人、なんて珍しくもなんともありませんが、これも結局警察が信頼されているからです。
 冤罪事件で社会が震撼するというのはまさに袴田事件がそうですが、逆に言えば「たかだか死刑冤罪1件で大騒ぎ出来る程度に日本の警察は信頼出来る」からこそこれくらいの大騒ぎなのだとも言えます。
 前記したような失敗国家であれば、そんなことは日常茶飯事なので、袴田事件が起きていたとしても「あ、またそんな事件があったのね、全く警察は…」程度で済まされてしまう可能性が高いでしょう。




 さて、こうした日本の「警察が信頼状況は、当然法廷での立証にも大きな影響を及ぼします。

 真犯人である被告人の中には、往生際悪くも否認する輩もいるでしょう。
 そして、彼らが「警察のやっていることはでっち上げだ!!」と騒いだとき。

「でも警察は信頼出来るのだから、具体的なでっち上げ証拠もないまま、警察の証拠がでっち上げだとは言えない」


といえるからこそ、「疑わしきは罰せず」という条件の中でも有罪の事実を認め、犯罪者を罰することが出来るのです。


ところが、警察官・検察官がこれらを意図的に捏造した者がおり、捏造者が誰かも判明せず、裁判所からの捏造の疑いを指摘されても今なお否認を続ける…ということになると、「警察は信頼出来る」という大前提が崩壊してしまいます。


 もちろん、明らかに科学的にあり得ないような事態や、露骨に他の証拠と自己矛盾を起こすような状況が堂々と記載されている事態であれば、信用性がないと言うことも簡単です。
 しかし、現実にはそんな事態はそうは起こりません。意図的な捏造をするのであれば、その辺りは辻褄を合わせることだって出来てしまいます。

 また、被告人側でも通常、報告書の記載内容について、身に覚えがなければ「身に覚えがない」としか言い様がないでしょう。
 袴田氏が「なんで味噌タンクから衣服が出てきたの?」と問われたところで、根拠を持ってこうなんですと言うことは不可能で、「全く身に覚えがありません」を繰り返す以外の手はなかったと考えられます。

 また、本件では衣服の変色が「科学的にあり得ない」という事態が証明されたことで裁判の方向性が変わってきたのですが、弁護側は「科学的にあり得ない」ことを証明するために年単位で衣服を味噌漬けをする実験を余儀なくされています。
「科学的にあり得ない」というのを立証するのすら簡単ではないのです。(そうした科学的な鑑定を実施するための費用すら、国選弁護人には出されない状況です)



 意図的な捏造をするような者がおり、それを見抜けないどころか裁判所の認定に対しても否認を続ける捜査機関が作った報告書は信じられない、となったらどうなるでしょうか。
 ただ単に被告人が「覚えがない」とさえ言えば、「捏造するような捜査機関の作った書面は信用出来ない」となり、法廷での立証活動は重大な制約を受けます。

 行き着く先は「否認すれば無罪」です。


 日本では自白事件は多いですが、これまで自白事件だった事件も、「否認すれば無罪」という誘惑が出てくれば、否認に転じるタイプの「真犯人」も出てきてしまうし、「実際に無罪だから無罪」ではなく、「立証方法がない故の無罪」も多発する可能性が大幅に跳ね上がるでしょう。
 それでもなんとか立証しようとすれば、限りある捜査機関の人手を大幅に増加した否認事件に割かざるをえなくなり、立証が難しくなるどころか立証を諦めざるを得ないような事態も生じかねません。
 
 そうなってくれば、治安全般が悪化するという事態になることも懸念されるのです。
 実際問題、「これでも立証として認められないと言うことだったら、この手の犯罪はどうやって立証したらいいのか」などと検察関係者が堂々とコメントしているような事も見たことがあり、「実際に立証出来たかどうか」よりも「政策的に見てこの程度の立証で十分としてもらいたい」という意識をもっている検察・裁判関係者は決して少なくありません。
(ぶっちゃけ弁護側ですら、ベクトルは逆でもこれ封じられたらどう立証しろというの?と感じることは珍しくありません)


 私としては、検察が本当に恐れているのは、「真犯人(と考える)袴田氏が処罰されないこと」にはないと推測しています。
 そもそも袴田氏は再審公判において、刑事訴訟法上の心神喪失によって法廷への出廷も免除されている状態(通常、被告人が心神喪失の場合は公判停止ですが、再審公判は被告人が死亡していても死後再審が認められる特殊な裁判なので、心神喪失でも公判を継続して出廷免除という対応をとったと考えられます)、仮に立証に成功して死刑判決が言い渡されても死刑の執行そのものが難しい状況にあった可能性が高い(刑事訴訟法479条)のです。

 それなのに有罪判決の獲得にこだわった原因は、結局「警察や検察の信頼性を露骨に疑われるような判決を出されたらどうなるのか」という懸念に由来していると推測しているわけです。

 弁護側としても、捏造まで踏み込むことで、こうした検察の執拗な抵抗を生むという可能性を意識した可能性はあると思います。
 しかし、問題となった衣服についてただ単に「信用性が疑わしい」を越えて「捏造された可能性が高い」まで踏み込まなければ、再審は認められたかも知れませんが、2014年の再審開始決定後、袴田氏が釈放されることはなく、「無罪確定までは獄中にいなさい」となった可能性があるでしょう(法律的には確定まで釈放しなくても全く問題ないです)。
 そうなれば、袴田氏は曲がりなりにも2014年から釈放されていたことによる、およそ10年間の一応の外での暮らしを失う可能性がありました。
 捏造の存在に散々噛みついている検事総長の談話は、捏造が否定されていたら袴田氏のこの10年がどうなったかについて思いをいたしているのかという非難は免れないでしょう。






 お断りしておきますが、「検察が恐れているのは今後法廷での立証が困難化し、治安に響くことである」というのは、あくまでも推測にすぎません。

 なにより、私の推測が当たっていたとしても、捜査機関の不始末の結果を袴田氏の有罪獲得を目指す、平たく言えば袴田氏に押しつける形で覆い隠そうとした(結果的に認められたならまだしも、認められていない)という点で、警察・検察の袴田事件における行動は厳しい糾弾を免れないと考えます。
 治安全般が悪化し、最悪それを遠因として死者が何人出る事態になったとしても、それは捜査機関、最終的には捜査機関を信任した国民全体が負担しなければならないものであり、治安悪化を防ぐためなら袴田氏を生贄にして良いなどという理論はあり得ないからです。

ただ、日本の裁判における法廷での立証は警察官などの捜査機関への信頼で成り立っている部分が非常に多いこと、そしてそれを揺るがす事態が起きていると言うことは、今後裁判員になるかも知れない一般の皆様にはくれぐれもご留意頂きたいと思います。
もしかしたら、袴田事件の一審の裁判官の一人である熊本典道氏のように、裁判員になって「自分が死刑判決を下した」事に対して生涯悶々としなければならないと言う事態もあり得るのですから…





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最終更新日  2024年10月15日 23時30分08秒
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