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カテゴリ:飯塚事件:マスコミ報道についての検証
毎回貴重な情報をご提供いただいております「通りすがりさん」に 6月5日の再審請求の決定内容がネットにUPされていることを教えていただきました。 通りすがりさん様 ありがとうございます。 さて、その決定内容を見て 私、衝撃を受けてしまいました。 その衝撃的な内容とは・・・・・ 内容を語る前の、再審棄却後のマスコミの風潮はと言いますと 弁護団の言い分のみをほぼ垂れ流し。 東京新聞にいたっては社説で 「飯塚事件 「再審認めず」は疑問だ!」 との見出しで大々的に批判を展開しておりました。 弁護団のT田弁護士に至っては裁判官に対し 「(証言に立った)おふたりは被告とは何の関係もなく、黙っていれば何の苦労もないのに、さまざまな困難を乗り越え法廷に立つ決断をした人たちです。その人たちが曖昧なことや、信用できないことを言うと判断すること自体が、人間としての誠意と良心に基づいてした行動を侮辱している判断だと思います」 だそうです。 さて、それではその誠意と良心の行動を見てみたいと思います。 Kさんは超能力者?
だそうです。(笑) Kさん、1~2秒、それも全身でなく車窓から見えた多分上半身だけの少女を見て一瞬で 「小学一年生」と判別できたそうです。 小学一年生と二年生も一瞬でわかるとは、すごい方ですね。 さてKさんの喜劇はまだ続きます。 加えて、K村は、女の子らを目撃した時刻についても、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をするにとどまっている。しかも、目撃時刻については、令和2年1月23日付けの供述書(当審弁1)では、午前11時前後と述べていたのに、証人尋問(令和5年5月31日実施)の約3週間前の令和5年5月6日付けの供述録取書(当審弁28)では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では、前記のとおり午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うと述べ、目撃時刻が次第に早まっている。一度目の変遷については、δにある取引先に、自宅(古賀市)から会社(春日市)を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると、自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。以上によれば、K村の供述は、目撃時刻に関しても、容易く信用できない。 私は以前にKさんがテレビに出演され自信満々に 「見たのは11時」とおっしゃっていたのを見ました。 9時台などとの発言は一切ありませんでした。 それに私も勘違いしてましたが、最新のKさんの証言では 「9時40分から10時40分」ではなかったんですね。 「9時40分 か 10時40分」だそうです。 40分というのは30年たっても覚えているのに、その前には「10時30分前後」、そしてその前には「11時」って、どこに40分が出てくるのでしょうね(笑) Dさんは困惑されてる? 私、以前よりKさんの証言については正直言って「眉唾」ものと思ってました。 しかしDさん(農協職員さん)は、ご自身の証言も影響して被告が死刑になったことについて心痛められていらっしゃるかなと思っておりました。 しかし、やはりこの方の証言の変遷も勘違いだけでは説明できないように感じますね。 特に弁護団が裁判所に提出した供述の録取書とご本人の証言に食い違いについては、当然に裁判官からすると心証を悪くしたと思います。 その理由も言い訳がましいですしね。 その理由がこちらです。 〔1〕目撃日時については、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容とを弁護人が混同したためであり、〔2〕目撃場所については、D山が、本件再審請求に協力するにあたって、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。 そしてこの件についての裁判官の意見は しかしながら、〔1〕目撃日時、〔2〕場所のいずれについても、目撃供述の根幹部分に関するものであり、D山の本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、目撃日時、場所に関する記憶や書面の内容を丁寧に確認するのが通常である。それにもかかわらず,上記供述録取書には、根幹部分に複数個所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的な説明とはいい難い。また、〔2〕目撃場所に関し、D山は、同供述録取書において、女の子らを目撃する直前に、自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女の子らを追越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしているのである。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女の子らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正を加えることができているのに、後者についてのみ適切に本件警察官調書を訂正することができなかったというのは、気が動転していたというだけでは、合理的な説明にならない。 これが弁護団が主張される 人間としての誠意と良心 でして、だから認めない裁判官に対してT田弁護士はこう主張されました。 「まさに人間の思いを込めて証言された女性の証言をこともなげに「信用できない」とした。」 これ、痴漢の冤罪事件でも同じような言葉を聞いた記憶があるような・・・・・ T田弁護士はさっさとこの国でクーデターを起こし、裁判が不要な国、相手が思いを込めて証言すればどんな人でも犯罪人にできる国に変えられてはいかがかと思いますよ。 私は・・・・・ そんな国は嫌です(笑) 今の日本で満足してますので! 東京新聞さん まさかこの証言を以って、死刑判決の再審を行えと主張されるのでしょうか(笑) 社説か社会面に、このような審議内容についても、事細かに書いてほしいですけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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