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カテゴリ:ひとりごと
Twitterで飯塚事件のことについて自分の考え(果たしてこの事件は冤罪なのだろうかといった意見)をつぶやくと、どこからともなく現れる「らららのおじいちゃん」の話は以前紹介したかと思いますが、そのおじいちゃんとのやり取りで、必ず主張されることが「証拠は警察の捏造、インチキ」「証人の証言は警察が誘導したものだ」とのご意見です。 ある証拠についてのやりとりで、例えば時系列的にその推測はどう考えてもあり得ない等の具体的な話になってきた結果、反論することが厳しくなると伝家の宝刀的にそのおじいちゃんは「信じません」「警察が●●したに違いない」と言って、議論(実際には議論とは程遠い不毛なやり取りの連続なのですが)が続かなくなってしまいます。いやはや困ったものです。 さて、捏造とか陰謀論ってみなさんどういったイメージですか? 実は陰謀論というのは、大なり小なり誰にでも経験があるものではないかと思います。 実際の私の経験談を語ります。 若いころ、会社の同僚と自分との比較で、自分よりも別の同僚のほうが会社からの査定でよい評価を受けているのを聞いたときに、私は正直こう思いました。 「俺の方が成果もあげてるのになぜ?あいつはきっと上司に気にいられているかゴマをすっているに違いない!」 と。まさしく陰謀論に染まった瞬間ですね。 しかしそこで私はこうも考えました。 「この上司が贔屓していることを他の社員にも知ってもらうために、今まで以上に仕事頑張ってやるぞ」 若いころは考えが幼いですよね。今となってはお恥かしい限りです。 自分の方が成果をもっと上げれば、他の人たちがきっとお前の上司は別の同僚を贔屓しているに違いないと気付いてくれるだろうと考えたのです。 思考が本当に単純でしたね。 さて、その後仕事を頑張り続けた結果、私は会社の査定で思った以上の評価をもらうことができました。そのことに喜びつつそこであることにもふと気がつきました。 「え?別に誰かを贔屓しているとかではなく、頑張ってそれなりの成果を出せば会社や上司からはきちんと認めてもらえるものなのだ」なと。 その後年齢を重ね、少数ながらもメンバーを評価する立場に立った時に、人を評価する難しさを知りました。そしてあることにも気が付きました。 自分が若いころに感じていた「陰謀論」は、結局のところは自分の評価の低さに対する言い訳だったことに。 楽なんですよね。そう考えると。 自分は頑張っているが認めてもらえないのは自分のせいではなく、他者に問題があるからだ。そう考えると自分の気持ちが大変楽になります。 しかしその反面、物事を正しく見ることができなくなる弊害もあります。 これって、中二病にも当てはまるのではないでしょうか。 ただし、うつ病になってしまう人の多くは生真面目過ぎて自分の責任を転嫁する人が多いと聞いたことがありますので、一概に言うことはできないかと思いますが。 中二の頃って、部活や学校の成績で、それまで仲良くやってきた同級生と比較されることが増えてきますよね。当然自分よりも成績が良い友達も増えますし、小学校時代から仲良くやっていた親友が、同じ部活で向こうはレギュラー、こちらは補欠になってしまうと、どうしても自分のいたらなさよりも、「あいつは監督に贔屓されている」とか「あいつが成績が良いのは塾に通っているからだ」などと原因を他にもっていきがちになります。 自分も振り返ると中二の頃は思い切り左翼的な考えで(それが格好良く先進的な考えだと思っていました)政治家や警察官は裏では悪いことばかりやっているに違いないなどと何の根拠もなく思っていたような気がします。 しかし大人になって、政治家の知り合いもできたりすると、中二の頃に感じていたこととは違い、自分の財産もなげうって政治活動している人がいること知ったり、親切な警察官の方に大変お世話になった経験などを積み重ねていくと、世の中って複雑で、単純な陰謀論だけで物事を片付けることはできないのだなといったことに気が付くものです。 さて、飯塚事件のことについて意見を述べると、その反論として冤罪を主張する方からの意見としてこの陰謀論的な意見によくぶつかります。 それって結局のところは、自分を正義の側において、相手(警察や検察に司法、つまり国家権力側ですね)の陰謀を暴くといった単純なストーリーに酔っているだけではないかと最近感じることが増えましたね。FBSを筆頭とした一部マスコミ、一部のジャーナリスト、そしてネットで冤罪反対派は陰謀論を振りまく一部の人たち。 冤罪事件は絶対にあってはなりません。 過去に冤罪事件を起こした警察はそのことについて常に猛省すべきです。 そして我々は権力側に対しては常に厳しい目を持つ続ける必要があると思います。そしてその役割を担ってくれているがマスコミの方々であることも重々承知しています。 だからと言って真実を捻じ曲げてもよいことにはなりません。 また、最近特にジャーナリストと呼ばれる方と活動家と呼ばれる方の区別がつきにくくなってます。ある組織の利益なることばかり報道する人。 またある組織を貶めるような報道ばかりする人。 これって活動家の行動と何ら変わりないですよね? 今の一部のジャーナリストを見ていると、中二病を克服できないまま大人になって、その結果として、陰謀論や捏造疑惑を敵対する相手に一方的に当てはめて、自分を正義の側に置き安全な場所から「これこそがジャーナリズムだ!」と粋がる輩が増えたように感じるのは自分だけでしょうか。 皆さんはどのようにお考えになられますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.12 19:00:08
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