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9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

2007.04.08
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カテゴリ:その他の事

昨日は深夜に、劇場版北斗の拳が放映してました。

正式名称は「第一部『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』」

でした。GWに第三部「真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章」が映画で放映される物語の第一部ですな。

「真救世主伝説 北斗の拳」を参照にしてください。

個人的な感想は

「全然駄目で駄作です。本当に当時の作者や関連した人たちが関与したのか?と疑いたくなる内容でした。」

よかったのは声優の阿倍寛さんが非常にケンシロウの声のイメージに近かったということでした。

「何故駄作と評価したのか?」

 「北斗の拳」は、当時の週刊少年ジャンプで連載している時、毎週読んでいたからです。その中でも、北斗の拳の話が盛り上がり、連載してから20年以上経過するのに、日本人の誰もが知っている、ベストセラーになりえたのは、主人公だけではなく、主人公を取り巻く人物、主人公と敵対する人物に非常に魅力的な人物が多い事が挙げられることでしょう。

 正に、北斗神拳対南斗6星と北斗神拳の正統継承者抗争を話す上で、重要なキーマンの一人が、今回の第一部『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』(以下「劇場版」)に登場している敵の

「聖帝サウザー」だからです。

つまり、連載当時(以下「原作」)に戻れば、ケンシロウとラオウの闘争は、このサウザーの登場で、本格派し、南斗6星(シン・レイ・ユダ・シュウ・サウザー・ユリア)と北斗神拳(ラオウ・トキ・ケンシロウ・ジャギ(ジャギは今後は省略)を取り巻く時代の流れと歴史の核心が解明される始まりであり、北斗神拳の正統継承者としてケンシロウに対し否定していた「拳王 ラオウ」がケンシロウを初めて意識し、トキはケンシロウと乱世の終息のために、自らを呈して奔走する始まりであり、運命の流れに、北斗3兄弟(ラオウ・トキ・ケンシロウ)が翻弄される、一つの出発点であったと思う。

 原作でのサウザーは、確かに「暴君」あったことは間違いない。しかし、何故彼が「暴君」への道を邁進したかの経緯が、「劇場版」では一切触れられていない劇場版に登場する「サウザーは単に冷酷で暴君であった」、しかし、原作では、「本人の意思で暴君になった漢(おとこ)ではないことは、北斗の拳を愛する人なら容易にわかる筈である。」つまり、劇場版とは全く異なる人物なのである

 サウザーは北斗の拳に登場してくる人物の人気の高さは、恐らく主人公のケンシロウを含めても、ベスト5に入る人物だろう。

 その人気の裏づけは、彼の生い立ちと彼の人物が挙げられる

「サウザー」は、孤児として生まれる、赤子の時に、師匠の「オウガイ」に拾われ以後、成人するまで家族同様として暮らす、平和に暮らしていた彼に、突然、悲劇的な運命が起こる、彼の使う拳の「南斗鳳凰拳」は一子相伝であり、拳を継承する時は、前継承者を倒し、継承するという、悲劇の流派である。

 ある日突然、平和に暮らしていた、彼を襲う男が出現する。彼は、この男を倒したが、良く見てみると最愛の師「オウガイ」であった、つまり南斗鳳凰拳の継承する最後の試練が師匠を葬る事である・・・・・・その時の彼の悲しみは、想像を絶するほどであり、彼は、「こんなに悲しいのなら、苦しいのなら...愛などいらぬ!」と号泣しながら絶叫し、このときから「愛を否定する」人物となり、乱世に身を投じて、英雄の一人として混沌とした乱世を駆け巡ることになる。彼の有名な格言は、「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」である。

 サウザーは、南斗鳳凰拳を唯一無比の拳として、「暴力だけが正義の時代」に覇を唱え、拳王として勢力拡大をし統治する「ラオウ」にとっても非常に厄介な敵対勢力の英雄となり。「聖帝」と呼ばれるようになる。

 サウザー自体が北斗神拳を受け付けない特殊な「体質」(心臓と経絡秘孔の配置が逆)なため、ケンシロウにサウザーが敗れるまでは、謎とされ、ラオウ自身も勢力を拡大するため、サウザーとは直接の対決を避けていた事になる。

 父同様に愛情を持って育ててくれた、師匠の「オウガイ」のために「聖帝十字陵」を建設する。また自らが「暴君」になる事で、愛さえ無ければ、苦しまず生きていけるだろうと、心に秘めた優しさがある人物でもあった。つまり「時代に翻弄された悲劇の暴君」それが聖帝サウザーであり、その悲しみが、連載していた当時の読者にも痛いほど伝わったため人気が未だにある人物である。

 残念ながら劇場版では、

「この重要な部分が全くカットされているのであり、また劇場版は拳王のラオウの視点から見た、北斗の拳という事で製作をしているのであれば、この部分は絶対カットできないはずである。」

 つまりこの重要なサウザーの生い立ちが、削除されたことにより、全くといっていいほど、

「話が見えない・・・のである」

つまり、上記の重要な部分が抜けているため、

 何故「ラオウ」は「サウザー」との直接の戦いを避けたのか?

 ケンシロウが一度、サウザーに破れ、瀕死の状態で、倒れているところを「ラオウ」が救ったのか?

 「聖帝十字陵」を建設した目的の意味は?

 「サウザー」が通常のケンシロウに敵対するものと違う形で倒されたのか?

 全ての謎が、わからない状態で放映されてしまっている。

 何故?ラオウがケンシロウを救ったのか?

 これは「ケンシロウ」が北斗神拳の正統継承者であり、暗殺拳としての側面を極めている「ケンシロウ」の技であればケンシロウが敗れたとしても、秘密が解明できると思ったからである(つまりラオウはこの部分が日和見である)

 ケンシロウがサウザーを破った時の北斗神拳の奥義は、次兄のトキの奥義「北斗有情猛翔破」である。通常はケンシロウはこの技は使わない筈である。

 ケンシロウは、サウザーとの戦いの中、サウザーの「悲しみと愛に飢えている」点を感じ取り、「強敵(とも)」として、彼を尊重していたのである。

 原作では、サウザーが果てる時、ケンシロウに感謝の意を述べている。また聖帝十字陵はもろくも崩れ去るが、聖帝十字陵の人柱として犠牲になった、南斗白鷺拳の使い手の「シュウ」が非業の死を遂げた時、聖帝十字陵の真ん中に師匠「オウガイ」の亡骸が現れ、師匠「オウガイ」を祭る、祭祀陵としての意味合いも強く出ており、「サウザー」が聖帝となり「聖帝十字陵」を建設した事が理解できる。

 サウザーは最後、自ら命を絶つ、師匠「オウガイ」の亡骸に寄り添いながら、自らの所業を悔いるように果てる・・・・・・・・・・・・・

 原作では、サウザー亡き後の北斗の拳が一番面白く、また、本当の意味で「戦国時代」の幕開けが訪れたといっても過言ではない。サウザーとの対決の後

 ケンシロウは本当の意味で「愛と哀しみを背負いながら乱世に終止符を打つ英雄に成長する」

 ラオウは、最後の統一者とし邁進する、しかし、徐々に成長したケンシロウの影におびえ、最終決戦を迎える準備のため「覇王」の道を極める事になる。

 トキは、乱世の終止符を打つために、病弱な体に鞭を打ち、最終決戦の最重要人物となる階段を駆け巡る。

 つまり北斗神拳の正統継承者の戦いである。

 更に最後の南斗6星の最後の英雄も出現する、「聖母」の星をつかさどる英雄を守るため、南斗5車星の英雄達も世に出る事になる。その戦いは、北斗神拳と南斗6星並びに南斗108流派の謎に迫る核心となり、北斗と南斗が表裏一体である事へもつながる事になる。

 「つまりそういう意味では、非常に重要な場面であった筈なのに、物の見事粉砕してくれたのは、ある意味偉業としか思えないと思います。GWに上映予定のラオウ伝 激闘の章も期待はずれになる可能性があり残念に思えてなりません。」

 映画ですから、賛否両論はありますが、今一の評価とさせていただきます。






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最終更新日  2007.04.08 18:51:15
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