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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2013/09/15
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この子たちは満洲残留孤児にはならなかった

敗戦前後の混乱の中、中国東北部(旧満州)で親と離別し、飢えや寒さで死んでいった孤児について描いた絵本「金のひしゃく-北斗七星になった孤児たち」が出版された。

著者の増田昭一さん(75) は旧制中学を卒業後、両親と姉の暮らす中国東北部(牡丹江)に渡るが、ソビエト参戦で戦闘に巻き込まれ、長春の難民収容所に移送される。
絵本はここでの実体験をもとに描かれたものだ。

先ず読んでください。

「金のひしゃくー北斗七星になった孤児達」

難民収容所で疲労、栄養失調、病気などでばたばたと日本人が死んでいくのを見るに見かねて新京敷島地区日本人会の有志の方々が2週間に1度炊き出しを始めます。
炊き出しに集まった人たちの中に4人の子どもが居ました。
その子供たちは皆、孤児で栄養失調になり下痢も止まらず、這うようにやってくる子もいました。
「お肉が入ってるぞ」と励まされやっとやっと歩いて炊事場までやってきます。
おじさんは彼らに言います。
「みんな早い。それにみんな元気だ。よかったよかった。今日はおじさんの大サービスだ。挽肉入りのおかゆだよ」
おじさんが「元気だ」と言ったのは彼らを励ますためで、彼らは長くても1ヶ月持たないことが分かっていました。
孤児たちは味を噛みしめながら嬉しそうに食べました。
生きて日本に帰れたらおじさんに何かお礼がしたいと思いました。
でも彼らは自分たちが長く生きられないことを知っていました。
足首が片手で握れるようになったら2~3週間、下痢をしたり食べるものが欲しくなくなったら数日、這いずるようになったら3~4日、手足の感覚が無くなり、動けなくなったら1~2日、熱が出て意識無くなったら間もなく死んでしまうことを。

2週間経ち、炊きだしの日になりました。
お正月なので難民の人たちにもお正月らしい食事をと、豆腐の味噌汁とご飯という献立でした。
おじさんはあの子供たちも喜んでくれるだろうと上機嫌でした。
難民の人たちにご飯をよそって味噌汁をついでいきますが子供たちは現れません。
おじさんは4人分の味噌汁とご飯を残して待っていました。
するとそこに一人に中年男性が現れ一枚の紙切れを渡されます。

 おじさん、お世話になりました。豚のお肉の入ったおかゆ、本当にありがとう。とても美味しかった。おじさんが言ったように、ひとさじひとさじ、味を噛みしめながら食べました。
 僕たちの大好きだった、死んだお母さんの味がしました。食べながらみんなで泣きました。
 親切にしてくれたおじさんに、何かお礼をしたいと思います。みんなで、色々考えました。もしも、生きて日本に帰れたら、みんなでお金を出し合って、金のひしゃくを作って、差し上げようと決めました。
 金のひしゃくに決めたわけは、あの美味しいおかゆをよそってくれたひしゃくは、僕たちには金のひしゃくに思えたからです。
 でも、それができないことが分かったんです。おじさんごめんなさい。
 どんなに日本に帰りたくとも、帰れないということが段々分かったのです。
 生き残った一人が、お礼を言うことに決めたのです。
 でも、僕もおじさんにお会いすることはできないでしょう。手や足に力が無くなってしまいました。目もかすんできました。
 最後に、おじさんに僕からのお願いです。おじさん、夜お空を見て下さい。ひしゃく星(北斗七星)が見えたら僕たちがおじさんに贈った金のひしゃくだと思って下さい。
 キラキラと瞬いて見えた時、僕たちがおじさんありがとうと、声を揃えて言っているのです。僕たちはお星様になって、おじさんが、家族揃って日本に帰れるように護ってあげます。
 おじさん、本当に優しくしてくれてありがとう。
 さようなら
                     優しい炊事場のおじさんへ

おじさんは声を上げて泣いたそうです。

実はこの収容所は当時私が住んでいた新京特別市敷島区にあったのですが私はその存在を知りませんでした。

しかしこのような親を失った孤児たちが日々生きるためにいろんなものを行商して歩いていることは見て知っていました。

この本の孤児たちは北満から長春迄たどり着いた時には既に体力が衰えていてやっと生きているような状態でした。

(子供だった私は彼らがそんな状況で行商をしているかを知る由もなくただ面白そうだと思い親にせがんで餡餅を売りに歩きましたが売れるよりも自分で食べた方が多かったらしく1日で辞めさせられた記憶があります。)

今日私はこの本(漫画)のあらすじを読んで今更ながら強烈なショックを受けました。

この様な事実は他にも一杯あったのです。

幸い何とか生き延びて引き揚げ地葫蘆島まで辿り着きながら此処で命の火が消えた孤児も少なくなかった。

私は此処で生き別れていた両親に奇跡的に再会して無事帰国したメル友を知っている。

長春で両親と生き別れた彼は浮浪児(当時10歳)となって生き延び一人葫蘆島まで辿り着いたのだった。

この間の事は其れだけで1冊の本になるくらいの様々な経験をした事を私は彼の著した自叙伝?を読ませて貰って知っている。

戦争は如何なる理由があろうともしてはいけない。

金のひしゃく.jpg 満ソ国境の街黒河からの逃避行(宮岸清衛) 20%.jpg   この種の本はネットで検索すると幾多とある。但し右はプライベートのHPのみ。






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Last updated  2013/09/15 05:14:16 PM
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