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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2013/12/18
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2013年長春会忘年会参加記

日中友好の偶然                           2013.12.14,15.

私は恒例の日本長春会忘年会に参加するため早朝7時少し前に駅に向かい末永さんと落ち合い予定の7時36分発の新幹線のぞみに乗車した。日頃は朝食が遅いので今日のように6時起床では食欲が今一ないので乗車後暫くしてから駅で買ったサンドイッチと缶コーヒの朝食を摂った。

毎度解説しているが長春会とは新京(現長春)に何らかの所縁のある人たちの親睦会である。私とはほぼ同年輩の末永氏は新京で生まれ終戦を安東(現丹東)で迎え私と同様葫蘆島から引き揚げたそうだが引き揚げの際は丹東からは少しだけ列車に乗る事が出来ただけで瀋陽までは徒歩だったそうである。私より1ヶ月早い昭和21年9月(1946年)だったとのことだ。

長春会の存在はずっと知らず偶然私のブログに飛び込んで知ったとのことでこれを期に私の紹介で長春会、安東会及び岡山市日中友好協会に入会された。

会場である新宿ワシントンホテルへはほぼ予定通り会が始まる20分ほど前に到着した。今回はこれまた偶然私のブログで知り合った錦州会の清水氏と彼の知人の長春生まれで横浜に留学後そのまま在日中の琳琳小姐が長春会の忘年会に参加したいと云うので長春会の会長に紹介して参加してもらった。

旧満州の主要都市には概ね長春会や安東会のような親睦会があるが会の性格上会員の加齢に伴い年々その活動が鈍り既に閉会したところも少なくない。しかしその中で長春会は安東会共々年々新会員や時に会員の2世も入会し未だ従来通りの活動を続ける事が出来ている。私も両会にかれこれ10名ほどの新会員の加入を担ってきた。全てブログのお蔭である。

私は従来から余興として毎回ハーモニカを吹いてきたが今回も司会に促されて何曲か吹いたが例年可なり騒音の中で吹いてきたが今年は如何云う訳か私がハーモニカの音を出した途端一瞬静かになりおやっとおもった。その後も気のせいか何時もよりは静かに聞いていたようでアンコールの声さえあった。集まった6,70十人の会員はみんな1年ぶり、中には数十年ぶりの再会で話に夢中なのだから無理もないことである。従って場内が騒然とすることは当然なので私は全く気にすることなく一部の人が聴いて呉れればいいのであるが今回のように場内の多数の人が比較的静かに聴いてくれたのは初めてだった。

恒例の新会員の紹介で私が紹介した琳琳は色白で可愛い顔の姑娘だったので人気で歌を一曲所望され臆することも無く歌ったのでまた拍手喝采だった。

なお昨年一橋大学大学院に長春生まれの院生の菅野さんを中心にして生まれた「満州の記憶研究会」のメンバーも参加しており彼らの取材が活発に行われていていた。

約2時間半後の2時半過ぎこれまた恒例の全員による「ふるさと」、満洲唱歌の「わたしたち」及び「今日の日はさようなら」を合唱して会は終わった。         

私はお子さんに会う末永さんと別れて清水さんと林琳と上野のアメ横で正月の食品を買いたいと云う琳林に付きあったのである。なんと彼女は仲間が大好きだと云うので太刀魚を10匹も買ったので吃驚した。この時期アメ横は物凄い混雑で思う様に歩けなかった。

疲れたので喫茶店で珈琲飲んだのだが何とブレンドが610円もしたので驚いた。

さて次が本題の偶然の重なった話である。我々が上野に向かう電車に乗った際隣に座っていた若い女性が私に何か話しかけそうにしているのに気が付いた。思い切ったように彼女は私が其れまで日本語で話をしていたにも拘らず「是中国人」=貴方は中国人ですか?と問いかけてきたのである。当然私は「不是不是我是日本人」=いいえ私は日本人ですよと答えたが私が派手な中国服を着ていたことによるらしい。

その後の会話でなんと彼女は長春からの留学生でしかも琳林と同じ満族だったのである。琳林は横浜に留学し卒業後も横浜で目下就職探しをしている。

こんな偶然が幾つも重なるとはと我々3人も吃驚した。裴丽莹(パイレイエイ)と云う彼女は東大生だった。無論私は彼女とメールの交換をし。長春の話が出来る幸運を嬉しく思った。

さて横浜で飲む予定の清水さん達とは此処で別れた。

実は此の後懇意にしている瀋陽生まれの丹東育ちであるプロの二胡奏者の楊雪と彼女のマネージャーの石田女士と夕食を共にする予定だったのだが雪さんは予定が狂って生徒のレッスンが長引き石田さんも急な出張で食事が中止となった。二人と会うのは明日という事で私は神田のホテルへ入り近くで一人さびしく夕食を食べた。

翌日はゆっくりして11時に雪さんの二胡教室がある大塚に行ったが時間があったので池袋の中国物産の友諠商店で瓜子(向日葵の種)をお土産に買った。

大塚駅で石田さんに迎えられ直ぐ近くの教室へ行ったが思いの外中国の屏風や椅子に飾られていて綺麗だったので吃驚した。

程なく雪さんが昨夜11時までレッスンだったと眠そうな目をして現れた。知らなかったが私が雪さんは持って行った瓜子が大好きだと云って喜んでくれた。暫く私が持参した葫蘆島記や最近の丹東の写真を見て話が弾んだ。彼女はもう何年も丹東に帰っていないようで新しくなった丹東駅に吃驚していた。二胡奏者としてのデビューは浅いが公演やレッスンが結構忙しくて丹東へは行きたいのだがなかなか時間が取れないそうだ。彼女が可愛くて人懐くっこいのできっとレッスンも優しいので人気があるのだろう。

さて来年の岡山市日中友好協会の賀詞交歓会に雪さんに出演して貰うことになっているのだが彼女の演奏曲目に先立ち1曲だけだがおまけに私の口琴(ハーモニカ)と共演するのでその曲目を相談した結果当日出席の日中両国人がよく知っている曲として北国之春と決めた。

この後今日も生徒のレッスンがあると云う雪さんと別れて私と石田さんは昼食に出かけウナギ定食を御馳走になって別れた。

私は東武鉄道の曳舟に向かったが初めての所だったので雪さんに詳しく乗る電車等を聞いていたので何とか辿り着く事が出来たものの予定より相当時間を喰った。

大学のハーモニカのOBの斉藤隆先輩が出演するすみだハーモニカ教室コンサートの会場では先輩が首を長くして待ってくれていた。

彼の出演にはまだ少し時間があったので暫く積もる話をしてから彼の演奏を聴いたが日本ハーモニカ芸術協会の準師範だけあって私よりは相当上手だと思った。終了後現在最も活躍されている大師範の斉藤寿行さんに紹介して貰い名刺の交換をさせて貰った。予期せぬ偶然の出会いもあって今回の上京は有意義なもとなった。謝謝。

?????????? 12%.jpg ’??t?l??“?‘??¶??????30%.jpg        私のハーモニカ演奏                 二人の長春人姑娘に挟まれている私






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Last updated  2013/12/19 11:12:35 AM
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