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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2014/02/07
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カテゴリ:その他中国旅行

中国南端の街雲南省の西双版納(シーサンバンナ)

中国の南端は海南島の三亜だが私が行った最南端は雲南省の西双版納である。

雲南省の自然と少数民族の風情に触れる旅                           08.0.13~20. (中国南端雲南省の西双版納に行く) 

初日(13日)岡山空港11時集合。一行9名のうち4名が顔見知りだった。定刻出発しほぼ定刻上海浦東空港に到着した。現地のガイドに迎えられ早速内山完造先生が戦前経営していた内山書店が再現されている中国工商銀行の去る分行に行った。内山先生は岡山県出身の日中友好の先駆者であり当時の中国の文化人とも交友があり特に魯迅とは親交があった。先生は敗戦後不本意ながら止む無く帰国されたが日中国交が再開されると中国政府から北京へ招聘され上海で客死された。書店は中国側に因って元の場所に再現された。夕食後上海紅橋空港から雲南省の昆明に飛び23時過ぎホテルへ入った。 

二日目(14日)当初予定になかった石林の観光を皆の希望で行った。石林は1382年明代に狩人によって偶然偶然発見された。古代海底が隆起した際にこの様な奇岩の林になったそうだが夫々に絶妙なネーミングがついてるいた。付近に幾つかの少数民族の居留地があり独自の民族衣装でデモンストレーションをしていた。代表的な民族は彝族(イ族)である。

午後は昆明市の老年の男女が民族楽器を演奏したり踊ったりする楽しみの場となっている曇華寺を観光した。私は門前の露店で布鞋を見つけて値切って10元で買った。この後普洱(プアール)茶博士と云うお茶の販売店に案内された。雲南はお茶の産地であるが此処の茶葉は高値である。夕方西双版納に飛びタイ料理と踊りのディナーショウで一行のKさんが舞台へ引っ張り上げられて一緒に踊らされるハプニングがあった。

???????? ?k?¬.jpg IMG_9529  ?k?¬.jpg                                    昆明から近くて便利なので観光客が多い             三蔵法師と名付けられている奇岩

三日(15日)先ず行ったタイ族園では赤ちゃんを一呑みにする程の錦蛇や美しいクジャクと記念撮影が出来たが私はクジャクと撮って貰った。

次の熱帯植物園ではゴム林、チーク林、ねむの木、コウモリの花、ハイビスカス、ジャックフルーツ、タマリンドウ、ザボン、月下美人、巨花の馬兜鈴等を鑑賞したが私は昔から花の名前は覚得るのが苦手だ。なおゴムは7年でゴム汁が採取出来ると知った。西双版納はタイ族自治区だが基諾族(ジノー)も居るそうだ。ゴム、砂糖、茶と3毛作の米(糯)が経済を支えている。昼食のタイ料理は激辛だった。

タイ族の高床式民家を訪れて彼らの生活の一端を覗かせて貰ったが大きな家に3世代が住んでおり新婚さんのみ個室を与えられ後は雑居だそうだ。タイ族は小乗仏教だが自分たちは上座仏教と称している。南国だけに窓にガラスが無かったが風が無いと結構暑いが雨期は逆に結構寒いそうだ。家は3階建てで2階が住居で下で家畜を飼い3階は倉庫である。

最後は水かけ祭りの観賞だったが像を先頭にタイ美人が行進してくる所は見応えがあったが「水かけ」自体はテレビで見たタイのものものとは全然違って観光用に脚色されていた。

IMG_9664  縮小.jpg ??‘o”?”[???…????????.jpg                   タイ族園 錦蛇(手前)と孔雀と記念撮影できる      水かけ祭り

IMG_9676  ?k?¬.jpg IMG_9706  ?k?¬.jpg                      西双版納にはこのような異国情緒のお寺もある     このような高床式民家がある

この後大理迄飛び亜星国際大酒店で夕食を摂ったが我々が着席すると舞台の歌手が「北国の春」を歌って呉れたので吃驚した。 

四日目(16日) 大理は標高2000メートルに在り白族の発祥地であるが他にも11の少数民族が居るそうだ。白族はその名の通り白を基調とした清楚な民族衣装を纏っている。最初の大理南門はかつて南詔国(約700年前)の首都であった頃の城壁門である。また海(アール海)と云う湖の彼方に高さ4122mの蒼山の主峰馬龍峰が見えた。また大理は藍染の発祥地と聞いて吃驚した。早速私は1着チャイナ服を買った。大理古城のシンボルは五華楼と云う楼である。有名な嵩聖寺の三塔や大雄宝殿は電気自動車に乗っての観光だった。無風状態だったので聚影池に映る逆さ三塔が見事に見えた。

この後専用車で3時間走って麗江へ向った。麗江古城で夕食を摂った後古城を散策し私はTシャツに似顔を書いて貰ったが余り似ていなかった。

DSC01605‘????’?????O“? ?k?¬.jpg DSC01734   ?k?¬.jpg                          嵩聖寺の三塔                                   

五日目(17日) 麗江はトンパ文字のナシ族の地であり麗江古城は世界遺産である。東巴文化博物館で日本にも来た事があると云う東巴博士がトンパ文字を書いて見せていたが撮影禁止だった。

午後早めに専用車で香格里拉に向かった。途中長江の支流の一つの金沙江の第一湾(大蛇行)で下車して金沙江最激流の虎跳狭まで約5Kmをハイキングした。この辺りは金沙江が蛇行していて橋を渡る毎に右に左に標高3200mの哈巴(ハーパー)雪山連峰が見え1957の年中旬から地名を桃源郷伝説の香格里拉へ改称したと云う事だ。住民はチベット族が1/3で後は白族、ナシ族、漢民族の順だそうだ。私はハイキングで疲れたのでマッさサージを頼んだ。 

六日目(18日)此処のガイドは西蔵族の女性だったが日本語が出来ないので大理から来ているガイドが通訳した。私は4千mの高地に行くと云うので念のため高山病の予防薬を飲んで出発した。途中で全員酸素ボンベを購入し自然森林公園、碧塔海(ピタ湖),西蔵族村の霞給村を順次観光して海抜4千mの松賛寺へ着いた。

松賛寺の大きな本堂は3000年上前のもので付近には千人以上いる御坊さ位の上の僧侶の住居が立ち並んでいた。本堂への入り口で若い僧侶が綺麗に研磨されている小石で腕輪を綴っていて皆は幾らか喜捨して1ケ貰った。皆さん高山病にも罹らず無事香格里拉の街まで戻った。

香格里拉古城には茶葉古道の「客銭」(商人宿)の名が残っていた。この日の夕食は三種の肉(羊、ヤク、牛)のしゃぶしゃぶを食べた。(香格里拉古城の茶葉古道客銭は雲南から印度まで茶を運ぶ商人の宿当時は馬が寝る処があった) 

DSC01691長江を遡上し香格里拉へ(哈巴雪山連峰を望む)縮小.jpg IMG_0192  ?k?¬.jpg                           哈巴(ハーパー)雪山連峰                  海抜4千mの松賛寺

七日目(19日)香格里拉に連泊して朝早く昆明空港経由上海紅橋空港に飛び午後13時過ぎ到着。初めて上海の飲茶の昼食を食べたが結構美味だった。午後上海七宝古鎮を観光した時瓜子(向日葵の種)を見つけたが案に相違して1元も負けなかったので買わなかった。しかし賑やかだった。 

IMG_0256香格里拉古城  縮小.jpgimgc536781dzikdzj[1].jpg                                                                            香格里拉古城と茶馬古鎮客機

八日目(20日 帰国の日)例によって早朝浦東空港に向かう。何事も無く出国手続きを終え搭乗口待合室で紹興酒の一種の酒精10度の「陳年桂花酒」を買って帰国後飲んでみたらワインだった。かくしてこの度の雲南旅行は1週間で南北15百Km,高度差三千m(雲南省縦断)を走破すると云うハードな旅無事だったが無事終える事が出来た。謝謝






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Last updated  2014/02/12 09:19:29 PM
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