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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2014/02/09
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カテゴリ:中国東北方面旅行

09年度長春会旅行 長春~長白山~長春 (中國東端の街图们行く) 09.9.13~20.

初日(9.13)成田空港で添乗の鈴木氏と一行23名と合流した。長春行きの中国南方航空機はほぼ定刻に出発したが向かい風の為やや遅れて到着した。

空港から日本へ引き揚げることなく此処で亡くなった多くの日本人が眠る長春公園(元緑園)に向かった。ソ連参戦時以降九死に一生を得てやっとここまで生き延びてきた北満からの日本人たちが力尽き此処で眠った墓無き墓地で合掌し冥福を祈った。

我々が会館にチェックインしたのは日が暮れかかっていた。今回のルームメイトは西広場小学校の2年先輩の加藤さんだった。尚私は丁度長春に来ていた丹東の知人と食事をする為に一行との夕食会を抜けたので既知のスーちゃん夫婦と母親に会えなかった。

2日目(9.14)この日の朝私は心臓のご機嫌が良くなかったのでニトロテープを張った。今日は友誼賓館(旧ヤマトホテル)西広場を廻ってから恒例の中日友好楼の養父母を見舞ったがとうとう2人になっていた。当初笠貫尚章氏が当友好楼を寄贈した時は29名入居したそうだったが殆ど亡くなったのである。

我々半数は偽満洲皇帝資料館等を廻る組みと別れて南湖公園を散策した後元の関東軍司令部同司令官官邸、元の白菊小学校八島小学校を訪ねた。八島小には1学期だけ通った事があり行ってみたら校門から玄関辺りを何となく思い出された。現在は長春第四十八中学になっていたが事前に連絡していなかった事とインフルエンザ流行の時だったので中に入れて貰えなかった。この夜は会館で長春会創立60周年と新中国建国60周年を併せて祝う晩餐会が催された。

3日目(9.15)今日の午前中は長春市徳恵市(中国の市は日本の県にあたるので市の中に小さい市がある)に在る原武哲氏が寄贈した「原武哲希望小学校」を訪問した。往路高速道路を下りた所からパトカーが先導して呉れたが道路に車の往来は少なくその必要はなかったのだが地元の教育主任の我々への好意だったようだ。

中国の一人っ子政策により生活に余裕のある家庭は親が進学に有利な都会の学校に入れたがり次第に田舎の学校の生徒数が少なくなっているようでこの小学校も例外ではなく生徒は少なかった。学校長らとの歓談を終えて近くの食事処で昼食を食べたが田舎料理は大抵使用の油が酸化していているので不味かった。

長春へ戻って伊水河畔の金色に輝く関羽の像前で全員の写真を撮った。この後初めてテレビ搭に上がって長春市街を展望し夕暮れを待って戦前から有名だったあの「赤い大きな満洲の夕日」を写真に収めたがビルの谷間に沈む夕日は昔の様な高粱畑に沈むあの真っ赤に燃えて大きな夕日のイメージではなかった。

縮小DSC02926.jpg ?k?¬DSC02902?´??“N???]?¬?w.jpg                  テレビ塔から長春市街展望           徳恵市 原武希望小学校

夕後一行は長春滞在組、哈尓濱行き、長白山行きの3組に分かれたが私は無論長白山組で9時頃長春站に向かいガイドの孫小姐に導かれて中鮮国境近くの図們行き軟臥特快列車のグリーン寝台特急列車に乗りこんだ。私はする事も無いし明日が早いので導眠剤を飲んで早々に寝たが呑んべいさんは酒盛りを始めたとの事だった。

4日目(9.16)翌朝は昨夜呑んだ導眠剤の御蔭でぐっすり眠っていてガイドに起こされた。注意されていたので1枚重ね着をして初めて降り立った安図站は薄寒かった。

迎えの小型バスで食堂に行き朝鮮式朝食を頂いたが起きたてでもあって食欲が無かった。ホテルにチェックインして又もや昼食に連れていかれた。これから長白山に行くので早めの昼食だと云うことだったが流石にさっき朝食を食べたばかりなので皆さん異議を唱えた為弁当を作って貰う事になった。この辺りは半数以上が朝鮮民族なので街の看板はハングル文字の方が漢字より大きく書いてある。

長白山は標高27百数十mだが2700m付近までバスとジープなのでそれ自体は楽だったが問題はバスを降りてからのジープで急な登りのカーブの多い道を猛烈な速度で走るので左右に揺れる体を支えるのに必死で景色を愛でるどころか恐怖でいっぱいだった。山頂は何時も霧が出て展望が良い事は珍しいらしいらしいがこの日は幸運にも晴れていて素晴らし展望でカルデラ湖の天池の対岸(北鮮)迄はっきり見えた。

駐車場まで下りて昼食の弁当を食べて長白瀑布、小天地(銀環湖)を観光した。聞いた所では近年中国の観光開発に対して長白山(朝鮮名は白頭山)を金日成の生誕地としてまた嘗ての抗日根拠地として聖地視している北鮮は苦々しく思っているとのことである。夕食で皆さん朝鮮式冷麺をリクエストしたが量が多かったが結構美味だった。

5日目(9.17)この日はゆっくり出発し図們へ向かった。图们江に架かる橋(名前は聞きもらした)の中央に中鮮国境線が引かれてあり橋の両端にそれぞれ監視所があった。は中国側の監視所の屋上に上がって望遠鏡で対岸を見たらビルの壁に金日成の肖像画が描いてあるのが見えた。

この後延吉迄戻ってホテルへチェックインしてから私は加藤さんと付近にあると聞いた自由市場に行こうとしたが見つからず引き返した。後で仲間から河の向こうに在ったと聞き残念に思った。ホテルに戻って茶房で20元のコーヒーを飲んでみたら思ったより美味しかったがふと菜単=メニューを見たら1人10元以上お願いしますと書いてあったのには吃驚した。しかし10元以下のものは無かったのでおかしかった。

’?”’?R?@?¶??“??? ?@?k?¬.jpg           中鮮国境の山 長白山頂上 白い線が国境

?}??’†‘N?‘???@?¶??“???  ?k?¬.jpg            延边朝鮮族自治区图们市 中鮮国境の橋(图们江)

6日目(9.18)午前中延吉市内観光後早めに長春へ戻る予定だったが中国空軍の突然の演習があって飛行機が大幅に遅れた為時間つぶしに苦労した。兎も角我々は一行の誰かの要望で両替に銀行に寄ったが普通にやるとパスポートの提示とか書類の記入やらで時間がかかるのだが店内に居る銀行も黙認している私設両替屋に頼むと手続きは全て不要なので早い。但し絶対に偽札を掴まされない事が肝要なので必ず行内に在る鑑定機にお札を掛ける事が絶対条件である。私は丹東で何回も私設両替屋の利用を経験している。

地下街で布鞋を探してみたが見つからなかった。履き心地がいいので好きだが底が薄いので遠距離を歩くのには不向きだ。最後に延吉動物園に入り1頭だけ居たシベリアタイガーを初めて見た。延吉の街は辺境の街としては結構都会的だった。

と言うことで長春には夕暮れ真際に着いたが哈尓濱組も遅れていたので一旦会館に戻って休息してからこの夜の夕食を食べる東方餃子店へ出向いた。ハルピンが本店の有名な餃子店であり私は1度行ってみたかったが結構美味い餃だった。

7日(9.19)この日は自由行動だったので私はブログ友の滕継明君に案内して貰う事にしていた。用意していた浮世絵柄の小風呂敷と布製の財布を上げたが彼も時節柄月餅を呉れた。彼は仙台で数年間日本語の勉強をしていてよどみのない日本語をしゃべる好青年であった。

早速ご一緒する加藤先輩と勝利公園前に残っている父が勤めていた元満州興業銀行の寮に行った。昭和19年日本は食べるものも不自由になった為まだ何でも食べられた新京の父のもとに行ったのだが急なことだったので適当な家が見つからず一時この寮へ入居した。もう3度此処へは来ているが今回は出来れば4Fのもと住んだ部屋を見てみたかったが住人に会えず残念だった。

今回は初めて勝利公園に入って私が遊んだ回転木馬がどの様になっているか見に行ったが新しくなって存在していた。またボートに乗った池もそのままで新しくなっていた橋の傍で写真を撮った。

次に北門へ廻ってみたが長春の最初の家があった元千鳥町辺りはすっかり変わっていて面影も残っていなかった。

当時新京の街は新京駅から南へ伸びていた中央通り(大同大街 現人民大街)を境に西側はいろは・・・順に和泉町、露月町、羽衣町・・・千鳥町と名ずけ東側をひいふうみい・・・即ち日出町、富士町、三笠町・・・吉野町(新京の最も繁華街)と名付けられていた。

次に西広場に向かい西広場小学校の後身である長春第72中学に行き事情を話したところ入れて呉れたので加藤先輩と記念写真を撮った。また西広場の給水塔は2つとも元の儘残っていた。この後加藤先輩が住んでいた羽衣町周辺から線路際の和泉町まで歩いた。

此処は終戦時私が住んでいた家の有った通だが矢張りすっかり様変わりしていてなにも昔の面影は残っていなかったので大体の見当をつけて記念写真を撮った。

長春駅前から元の吉野町まで歩き滕君に昼食に日式ラーメンを食べに連れて行って貰ったが予期以上に美味しかった。

午後は先ずメル友から頼まれている朝陽橋の南方向の写真を撮りに行ったが幸運にも鉄道の列車と軽電の両方を同時に撮る事が出来て帰国後依頼主から喜ばれた。次は先輩が自分のカメラが故障した為ガイドの孫さんから借りていたデジカメを返すに当たって撮った写真をCDに移して貰うべく滕君の知っているコピー屋に連れて行って貰ったがCD込みで5元と云う安さに驚いた。

次いで我々は長春動植物園に行った。入場料は10元だったがパンダ園に入るのにまた20元が要りまるで遊園地の乗り物に乗るような感じだった。動植物園から会館まで歩いて帰ったが思いのほか遠かった。御蔭で途中私は棒棒糖が買えたが50本買ったので店の店員が吃驚していた。さてこの夜長白山賓館で行われた恒例のサヨナラ夕食会で私は口琴を吹き加藤先輩が熱唱した。

帰国の日(9.20)何時もの様に早朝特に用意された朝食もそこそこに空港に向かい陳先生等の見送りを受けて帰国の途につき以後すべて予定通りに進み無事今度の旅行を終えた。謝謝 






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Last updated  2014/02/10 08:55:38 PM
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