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カテゴリ:日中友好と中国人とのお付き合い
11.2006.4. 今年は岡山市・洛陽市友好都市締結20周年であり、岡山市民団80名が高谷市長も参加した。恒例の牡丹祭りの開幕式も盛大に行われ牡丹園で満開の牡丹を鑑賞した。今回も小浪底ダム南岸の植林して洛陽周辺の観光度上海では上海に4つしかない仏教寺の一つである玉仏寺を参観した。 洛陽牡丹園で見つけた珍妙な名前の牡丹 12.2006.6. 長春会旅行に初参加した。長春は終戦時住んで居た街で先年行った生地丹東と共に中国の懐かしき街である。終戦直後北満から逃避して来た数万人の日本人が飢えと寒さで此処新京(現長春)で亡くなり遺棄同様に葬られたと云う長春公園に行き一行にいた僧侶の読経で回向した後市内を観光して遠く葫蘆島まで南下した。葫蘆島は105万人もの日本人が引き揚げ船に乗船した港である。 港外には引揚記念碑があったが後方の埠頭は長年の波浪によってほとんど残骸となっていた。長春と葫蘆島両市では市政府による我々訪問団の歓迎会があった。 この記念碑は誰に寄ってた建てられたかは知らない。後は臨時埠頭の残骸 13.2006.7. この旅行は私の高校の同級生の森本君に依頼で付き合った大連、旅順観光である。彼は終後引き揚げるまで大連北方の普蘭店で父親が警察官だったために身を細めて暮らして居たのでいやな思いしかなくこれまで行ってみようとはしなかったが私の勧めでやっと行こうと決心した。彼の奥さんの希望で普蘭店に行かず旅順観光をしたのは少し残念だったろう。 大連の満族料理店で食事をした後の森本夫妻 14.2006.8. 2度目の何暁麗との個人旅行 今回は彼女のが広島空港で再入国カードを忘れた為一緒に行けず当時殆ど日本語が喋れなかった弟の姜大偉と2人で瀋陽観光をしてから丹東で彼女と合流した。今回も彼女の生家を訪れ彼女の両親と再会した。 丹東駅前 暁麗、大偉姉弟と 後ろは毛沢東像 15.2006.10. 岡山県が建立した西安の吉備真備記念碑20周年祭に石井岡山知事と参加した。西安からゴビ砂漠まで足を延ばし世界遺産の莫高窟や鳴沙山等を観光し始めてラクダに乗った。この後私は敦煌で盲腸炎を発症し西安、上海で手当てをしながら一行より一足先に帰岡して辛うじて手術に間に合った。 西安政府の手で綺麗に花で飾られた吉備真備記念碑 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/07/19 03:37:41 PM
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