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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2017/08/21
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カテゴリ:日常の出来事

今年はリタイア―して帰岡、60年が過ぎたので「私の旅行記」を一服してこの間のメモリーを写真で綴ってみた。

退職後のメモリー.jpg  30%.jpg

1.「銀杏会」とは私が終生勤務した不二製油のOB会である。2002年5月私は狭心症の発作を起こして入院し精密検査の結果手術による治癒が出来ない痙攣性狭心症を判明し一生ニトロで凌ぐ身となって失意の退院をしたばかりであった。そこへ会長の要請を受け当然断った。しかし現会長が突然倒れ周囲からの絶っての要請があり止む無く引き受ける羽目となったのであるが事情により8年間勤めた。

2.リタイア後は30年前遭った交通事故の後遺症により長年病院生活を続けていた母を見舞うことが生活の中心となっていたが2000年12月 母は94歳で逝った。

3.その間2人の子供が相次いで結婚した。

4.在職中は中断していたが子供の頃から親しんでいたハーモニカを再開して岡山ハーモニカクラブに入会し中国旅行には常に携帯し機会あるごとに吹いて日中友好親善にささやかに寄与した。また大学のハーモニカ仲間と関西各地の病院等の慰問や丹東同郷の中国人のプロの二胡奏者と岡山の病院や老人ホームの慰問や共演をした。

5.一方では高校の同期からの薦めで運動のために始めたフランス発祥の軽スポーツのペタンクにのめり込み一時は西日本各地の大会にも参加し岡山県選手権も2度獲得し高齢者スポーツ全国大会にも岡山県代表となって5位タイまで進んだ。

6.また高校同期との交流も多く国内外の旅行やたゴルフ等に参加した。

以上リタイア―後の岡山での生活をどう過ごすか退職帰省の時は心配したが上述の如く結構忙しいものであった。 






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Last updated  2017/08/25 09:49:49 AM
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