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カテゴリ:公務関係
26日から28日までの3日間、東日本大震災の被災地を視察してきました。
この視察は、隔年で行われる常任委員会の視察でしたが、本来であれば関係自治体を訪れ、職員の方から色々とお話を聞きたいところでしたが、しかし、被災から僅か7ヶ月強しか経っていないことや復旧に追われている現地の現状を考えると、煩わしい手間をかけるわけにもいかず、結果として「三陸鉄道」が企画実施する研修に参加しました。 この企画は、「被災地フロントライン研修」といって、陸前高田市から田老町までの被災地を巡る研修なのですが、全国に参加募集を呼びかけ、これまでの数ヶ月間で数百名の参加実績があります。またその7割程度が市町村議会議員のようです。 おそらく私たちと同じような考えの方々が研修に応募されたのだと思います。 さて、研修ですが、降り立った仙台空港も被災地の一つなのですが、バスを進めていくにつれてその異様さを感じ始めました。河川の至る所で氾濫の跡があり、橋や鉄橋などが何箇所か崩落していました。また、道路際には物資の保管センターやボランティアセンターなどで働く人々が慌しく動き回っていました。 そして、市街地に入ったとたん、目の前に信じられない光景が飛び込んできました。まさに地獄絵図です。 瓦礫こそある程度片付けられていましたが、その一帯はまるでこれから分譲地のようなまっさらな土地が広がっていました。僅かに残る鉄骨立ての施設も、4階を超える浸水の跡が残り生死の分かれ道がいかに厳しかったかを物語っていました。 献花台に向かい委員会メンバーの一人ひとりが手を合わせお参りをさせて頂きました。 市役所に程近い消防署では、定年を間近に控えていた署長さんが残念にも命を落とされ、そのご遺影にも手を合わてきました。 そのような細かなエピソードを教えて下さった三陸鉄道の社員さんの添乗を頂き、大船渡市、旧三陸町、釜石市、大槌町、山田町、宮古市、そして田老町と次々に被災地を巡りました。 委員さんの中には通りかかった住民の皆さんに直接お話を聞く方もいて、生の声を聞く貴重な機会にもなりました。 立ち寄る道の駅やスーパーなども決して活気があるようには感じられないものの、「北海道石狩市から来ました。」と声をかけると、どこのお店のおばちゃんもおじちゃんも笑顔で喜んでくれました。 全国が被災地を気にしてくれていることへの感謝もそうですが、やはりこの街に住み続けていくには、たくさんの方々に訪れて頂き、まちに活気をつける事がとても大事で、いつまで悲しんでいても始まらなく、少しでも自分たちの足で踏み出さなくてはならないとお考えのようです。 今回の「三鉄さん」の企画は、被災地の現状を知っていただきたいという想いと、多くの人が被災地を訪れ、まちに活気を付けてほしいという願いが込められていたように思います。 2日間、われわれと一緒に同行してくれた三鉄の社員さんは、「被災地はまだまだ大変な道のりが待っていますが、これきりと言わず、復興を遂げるまでの私たちをしっかり見届けて下さいますよう宜しくお願いします。」、とおっしゃった最後の言葉は心の芯まで響きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月29日 18時07分24秒
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