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11月26日の道新社説。 先日、関連記事を読んだときも、悲しさと怒りの二つの感情が湧き起った事を思い出した。 加害者の生徒による悪口や暴力、さらに金銭要求…、しかも巻き上げた150万円もの金銭は遊興費に使われたようだ。 仮に子供がした行為だとしても、人道から外れるこのような行為は許せない。 この子たちは、果たしてどんな大人になるのだろう。 人の痛みも苦しみも理解しようとせず、自分たちの欲求を満たすために徹底的に攻撃するそんな人間性に、その将来を考えたとき何だかゾッとする。 何故、原発事故で避難した人がこのようにいじめられるのか。 加害者の親は? 自分たちの子供の様子の変化に気づかなかったのだろうか。 無関心社会が透けて見える。 ただ、この被害にあった子は、死の選択ではなく「助けてくれる大人が必ずいる」と信じ、この社会に微かな期待を持っていた。 我々も含め社会全体が子供のSOSに気づいてあげられ、誰でも良いからその子に助けの手を差し伸べられるような社会になければいけない、と強く思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月26日 08時58分11秒
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