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テーマ:教育問題(327)
カテゴリ:教育について
《どの方法をとるにせよ、学校教育への政府の財源には変わりがない。子供のあるなしや、子供の学校が私立か公立かを問わず、すべての国民が政府の教育費をまかなうために納税義務を負う点も、現在と変わりない。ただ、子供の通学校を決めるのは政府の官僚ではなく、親自身であるという点が決定的に違う。つまり、どの学校の資金を増やし、どの学校は減らすかを決めるのも、親自身である。また、私立学校を選ぶ親は.税金と授業料という形で教育費を二重払いしないでもすむ。 その結果、教職員は、本当のお客様である生徒の要望に答えざるをえなくなる。「お客様は神様です」とは、まさに競争市場特有のスローガンなのだ。授業料クーポンは、このスローガンを学校教育に適用したものである》(ミルトン・フリードマン『奇跡の選択 自由経済をはばむものは何か』(三笠書房)加藤寛監訳、pp. 252f) 「クーポン制」は、学校選択の自由を有効たらしめるための手段である。したがって、そもそも学校選択の自由がなければ「絵に描いた餅」にしかならない。 学校を自由に選択するためには、教育はどの学校も平等に提供されねばならないという平等信仰の呪縛をまず解かねばならない。が、これは殊の外(ことのほか)難しそうである。学校によって教育内容が異なるのは、「差別」であると言い出す人が出てくることは容易に予想される。 戦後日本人は、平等は「絶対善」だと思い込み、信じているから、この人達を説得することはほとんど不可能ではないか。また、少なからず共産社会に移行することを望む人達(共産主義シンパ)もいるであろうから、「自由」を拡大することなど論外だと言う声も少なくないに違いないのだ。 《公立よりいい学校はどこかと、死に物狂いで探す親が多い実情をみれば、クーポン制のよさにも納得がいこう。 必死で学校を探した結果、カトリックを信じてもいないのに、子供をカトリックの教区学校へ適わせる親が増えている。なぜなら、教区学校はカトリック教会が多額の財政補助をしているので、ふつうの親でもあまり負担がかからない唯一の私立学校だからだ。また、私立の授業料のべらぼうな高さにもかかわらず、通学者の比率が増えているのをみても、親たちがどれだけ学校選びに夢中かがわかる》(同、p. 253) 仮に平等の呪縛が解け、画一的な学校が解放され、それぞれの学校が独自の運営を出来るようになれば、学校選択の自由も意味のあるものとなるし、「クーポン制」がこの自由を有効たらしめることになるであろう。だとすれば、平等信仰を如何に打ち破るのかがこの問題の鍵となるということだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.23 20:00:13
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