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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.10.24
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テーマ:教育問題(327)
カテゴリ:教育について

《学校選択の自由が保障されるような学校教育を考えていけば、よく議論の対象とされる6・3制の問題も、それほど大きな問題ではないことに気づくだろう。

 義務教育というものが、小学校ぐらいではある程度必要であっても、しかし必ずしも学校を経なくても一定の教育水準を達成することは不可能ではない。

 たとえば年齢によってその共通知識と能力を認定するような学力認定制度があって、それに合格さえすれば義務教育はそれで終了したという形にしていけば、あえて魅力のない学校に縛られなくても教育を受けることは可能である》(加藤寛「教育荒廃の根源にあるもの」:世界を考える京都座会編『学校教育活性化のための7つの提言』(PHP研究所)、pp. 53f

 小学校年、中学校年の義務教育は、社会人に必要な知識・道徳・身体を身に付けるための最低保証なのであって、例えば、中学卒業認定試験に合格できるのであれば、必ずしも公的教育機関に通わなくてもよい、というような柔軟な考え方はできないのかということだ。

 日本は、基本的に「集団社会」であるから、集団の中で教育を受けることが望ましい。が、一方で、一旦集団から外れれば生きていけないような社会であってもならないだろう。

 日本の強みは、平均的な教育力の高さにあり、それを束ねた組織力こそが日本の「生き筋」であろうと思われる。翻(ひるがえ)って、その組織にも、かつての松下幸之助、盛田昭夫、本田宗一郎のような優れた指導者が必要だ。が、優れた指導者は、平均的教育からは生まれない。また、芸術家や科学者といった人々も、平均的教育とは無縁のものであろう。こういった人達は、本来「集団教育」には馴染まない。

《このようにいうと、すぐ、学校に通わせなければ集団行動のできない反社会的な子供が増えるのではないかという批判が出てくるけれども、決してそのようなことは一般的ではない》(同、p. 54

 集団に馴染まない人間は「反社会的」とまで言うのは偏見が過ぎる。組織の頂点に立つ指導者は常に孤独であるが、だからといって「反社会的」ということにはならないだろう。また、個人の才能に依存する職業の人達を「反社会的」と言って爪弾(つまはじ)きにするのも非寛容に過ぎる。

《もし学校に通わずに認定試験によって教育水準を認めてもらう制度ができたとしても、そういう方法でやってやろうというだけの自信のある親、あるいは子供がどれだけいるだろうか。

 米国などでは.その点でかなり自由な教育が行われているが、それでも学校に通わずに教育を受けている子供は、1割か2割程度しかいないという統計がある。したがってそのような自由が認められたとしても、子供たちが学校を経ないで学習するということはまず考えられない。

 しかし、学校に行かなくても義務教育制度の教育ぐらいはできるということであれは、無理をしてまで学校に行くことはないだろう。子供たちを9年間も義務教育で締る理由は全くない》(同、p. 54

 集団教育を受けるのが基本中の基本ではあるとしても、集団教育に馴染めない人達に集団教育を無理強いしないことも、多様性ある柔軟な社会を構成構築するためには必要なのではないだろうか。






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Last updated  2024.10.24 20:00:15
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