意識の中での統制?決まり事での統制?
最近の事で意識の中で皆の注意とか常識的な範囲の中で事を進めていくのか、決まり事等にしてしまうか?みたいな事がよくある話しではありますが、事例としてありその中で考える事もあったので書いてみます。これだけでは何を言っているかよくわからないとは思いますが、例えば、決まり事、マニュアル、ルール、行動指針等を明確にする事ではっきりと動き方・考える方向性が分かる分、応用力が無くなる、細かい所が増えすぎると量が多くて把握しきれない・忘れてしまう。意識とか注意とか常識的な範囲の中で、皆注意していこうとかこうしていこう等行っている時は、もちろんその瞬間的には導入しやすいし、周知も早い、しかしながら、どこに大元の基準があるのかが明確でなく、どこに向かうべきなのかが分かりにくい、一人一人の自己解釈になりやすい。また、スタッフが入れ替わったら『0』リセットされる。みたいな側面が沢山あります。こういう話の時に自分的にはよく考える事であるのですが、憲法、法律、条令みたいな関係性国会が提案し、国民投票でつくる「きまり」・・・憲法国会がつくる「きまり」・・・法律地方議会がつくる「きまり」・・・条例こういうのを会社・職場単位で変換してみたらどうなるだろうかとよく考えます。憲法:理念・心得法律:いきいきBOOK・行動指針条例:事業所毎の決まり事 みたいな感じでしょうか?大きくは憲法と法律、細かくなると条例という考えで大きな支障はないかと考えますが、大きな行動の指針というものがあり、その中で条例という細かな地方独自のルールがある。何が言いたいかというと、大きな憲法・法律が無い所で条例はできないという事です。仮にできたとしても、ある特定の人が何か思っている事等や意識している事が条例となり、方向性がブレブレになってしまいます。憲法・法律が無い所では、注意とか常識的にという所の中での統制になります。その常識とかこうあるべきという所が人間人それぞれ、おのおの違いがあります。だから憲法・法律があります。凄く難しい話になりますが、決まり事を作る際も、何か注意をする際も、そういう方向性の所が無いとブレブレになってしまうという事をつまりは言いたい感じです。逆にここがしっかりしていれば、細かい条例は多くは必要ないかと思います。憲法・法律があるから、目指すべき所が分かる、注意しあう事が出来る。おのおのの感覚で物事を決めていくと、特にその職場の上司(中間管理職)の価値観等を部下に押し付けてしまう形となりかねないです。そしてそこに基準が無いと、注意された時に感情・感覚の話になって統制できなくなり、起こさなくても良い衝突を起こしてしまいます。凄く書きながら伝わりにくい感じになっているなと自分でも思いながら、書いていますが、①まず、根幹をしっかり作る事。②そこの根幹でカバーしきれない所に決まり事を作る事。③細かすぎる決まり事は覚えきれないし、忘れてしまう事も多く、結局ルールとして統制出来ない事。 だから基本的な①②を定めてから①②に向かえるように意識・行動・常識としていく事。 意識していない、行動していない、常識化できていない時に注意する事。その辺かと思います。④根幹がはっきりしていない、管理職も把握していないは基本的には感覚・感情・その人が考える常識の話になりやすいので、そこからは統制するのは難しい。物事の決まり事等を考えていく際、人の動きのルールや指針を考えていく際に少し役に立つかなと思い今日は書いてみました。自分が言っている事がすべて正解ではありませんが、木村は色々な事があった時にそういう風に考える様にしています。少しでも参考になる所があれば幸いです。お知らせいつも当Blogをご覧頂きありがとうございます!★いきいきリハビリケアでは、共に働く仲間を募集しています★~仕事が気になる方、求職中の方はこちらから~いきいきリハビリケア リクルート(求人)サイト★会社案内(会社の事が気になった方はこちら)★~いきいきリハビリケア公式サイト~★いきいきリハビリケアの仲間もBlogを書いています★~スタッフ仲間のBlogはこちらから~スタッフ仲間のBlogアクセスお待ちしております!