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テーマ:ちっちゃな種まき(269)
カテゴリ:人と命とわたし
(畑:ミャンマーにて) お久しぶりです 年始2週間、出張でミャンマーへ いろんなことを感じ、考えるひと時 5年ぶりのアジア・・・ 久しぶりのクラクションの音、人、熱気・・・ 子供たちがいて、大人、おばあ・おじいがいて 露天に並ぶビターナッツの葉、口の中が赤い人々・・ いろんな事情がある中で、友人のひとりひとりが たくましく、前向きに生きている姿 素敵だなって思える生活空間・団体に出会う スタッフが本当に共生していて、子育てし 意見をぶつけ合い、汗を流し、共に祈る 上に立つ人がきちんと敬われ 口だけではなく、そこにあるやさしい雰囲気 こんな働き場で働けたらって思う (人懐っこいニジー) 家族っていう時、子供もおじいもおばあも、親戚もいる 知り合いの子どもが寝泊りしていることもある 日本にはもう無くなりつつあること でも、もしかしたらとっても大切な社会の要素 出発する前にエレミヤ29章11節が与えられた なんで、この箇所なんだろうって思っていたけれど 旅を進める中でじわりじわりとこの言葉がしみこんでいく これはイスラエルの民がバビロンに捕囚として囚われていた 何千年前の言葉だけど・・・ 今のミャンマーにも、今の日本にも当てはまること 少数民族の人たちや、マイノリティであるクリスチャンが 直面している厳しい現実がある まさか・・・ありえないでしょ・・・ 聞いていると本当にやるせなくなることも でも、そのような中にあって、約束されているのは “希望と平安” ミャンマーの友人とうなずく 彼女は大切な祈りの友 「ダイジョ~ブ!」 それぞれの場所で、それぞれの役割がある (日本兵や戦時中のことを語ってくれたおばあ) わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ エレミヤ29章11節 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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