カテゴリ:追悼
はしだのりひこさんが、2日午前1時16分にパーキンソン病と急性骨髄性白血病で亡くなったんですね 朝日デジタルより はしだのりひこさんと言ったらフォークル 左 はしだのりひこ 中 北山修 右 加藤和彦 フォーク・クルセダーズ(フォークル)は、67年に京都で「イムジン河」、神戸で「帰って来たヨッパライ」がさかんに取り上げられるようになり、頻繁にラジオに流されました レコード各社がデビューを持ちかけるも、加藤和彦が反対し、北山修の説得により1年限定でプロデビューする事になったが、この時の加藤和彦の条件がはしだのりひこの参加であった、因みに北山修は杉田二郎を押していたらしい 1967年はチェロキーは、小学生の低学年で洋楽のポップスが好きでした 学校が終わるとランドセルをしょったまま、レコード屋さんへ直行 トム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンク、ニール・ダイヤモンドとかが好きで、レコード屋のオヤジから「気持ちの悪い小学生」と言われておりましたが、370円のドーナッツ盤しか買わないのにポスターとかカレンダーをサービスしてもらいました 世はまさにGS(グループサウンズ)の時代、ザ・タイガースやザ・カーナビーツ、ヴィレッジ・シンガースが活躍し、いまでも名盤のビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」やクリームの「カラフル・クリーム」も発売された年でもあります 何故か、チェロキー家にはお父さんが買って来た「帰って来たヨッパライ」がありました 1年足らずでフォーク・クルセダーズは解散して、はしだのりひこは「はしだのりひことシューベルト」、「はしだのりひことクライマックス」、「はしだのりひことエンドレス」と解散と結成を繰り返しますが、この頃の楽曲はチェロキー的にはフォークルとごっちゃになっていて、場合によってはサディスティック・ミカ・バンドも一緒くたになってしまいます 学校の教科書にものるようになって、学校行事や文化祭では良く弾かされました 最近では、映画の「パッチギ!」に「イムジン河」が取り上げられて、懐かしく思ったものです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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