★高野山「金剛峰寺」 in和歌山。
高野山「奥の院」の次は、真言宗の総本山「金剛峰寺」(こんごうぶじ)、もともと「金剛峰寺」とは高野山の総称でした。全国に3,600もある、高野山真言宗のお寺の総本山で、秀吉の甥である豊臣秀次 自刃の間があります。高野山は3年ほど前の2015年に開創1200年を迎えています。名前の由来は、「金剛峯楼閣瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくゆがゆぎきょう)」というお経と伝えられています。ここも「奥の院」同様、葉が色づき始めていて、秋らしくとても良い雰囲気です。正門は金剛峰寺の中で一番古い建造物で、1593年に再建されたもので、昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけだったようです。表門を入ってすぐ右に、鐘楼があります。 ゆるキャラ?「こうやくん」も見えます。拝観料は大人500円、を支払い、本堂内に入場します。手前の部屋には、「奥之院霊木」が鎮座しています。直径が2,87m・・凄い太さ・・日本最大の石庭「蟠龍庭」(2,340m2)が見られます。この石庭、竜安寺を連想させてくれます。------------------------高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地。東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さを有している。弘法大師が都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語がある。それは、弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていた。弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師に会う。手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意された。普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内というが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺である。------------------------【今日のLife Hack:人生の目的は悟ることではありません。生きるんです。人間は動物ですから。 岡本太郎】<高野山「金剛峰寺」>