★フジコ・ヘミングのコンサートへ。
関東経済産業局で仕事を終え、夜のコンサート「フジコ・ヘミング」へ向かいます。「魂のピアニスト」、日本で最も支持されるクラシックピアノの偉才と評判のイングリッド・フジコ・ ヘミング。彼女のコンサートは初めてです。妻と合流し、検温を済ませ、中に入ります。チラシの彼女のサインを見ると、フジコの「ジ」スペルは、「J」ではなく「Z」、「Fuziko」、私の悪い性格で、気になります。(笑)何か、拘りが有りそうで・・。会場に入ると、舞台の真ん中にピアノがポツンと置いてあります。近づいてみると、やはり「スタインバッハ」です。我々の席は、S席ですが、後方左手です。定刻になり、弱々しい足取りで、男性に介添えされてフジコさんが登場です。暗いですが、紫色の衣装に見えます。双眼鏡を忘れました。何も語らず、しっかりと鍵盤を叩く力強い音で演奏が始まります。最初の一打が心に響きます、他と違って聞こえます。1曲目の演奏が終わり、マイクを握り、「遅れてきた方は今入ってください」と。しっかりした声です。日本人向けなのか、私の知っている曲もあり、「トルコ行進曲」で前半終了です。休憩を挟んで後半は、黒に白の帯?風のアクセントがある衣装です。後半は、手の動きが左右に大きく動き、飛び越したり・・・。最後は、皆が望んでいるであろう「ラ・カンパネラ」、観客は皆、集中して聴いているのが分かります。あの歩き方から、アンコールは期待していませんでしたが、やはり残念です。お話はほとんど無く、楽譜も無く、休憩を挟んで約2時間、しっかり演奏し続けました。体力勝負で、かなりお疲れかと思いますが、最後までやり切りました。国際結婚で生まれた子として、ご苦労も多く、色々な苦難を乗り越えてきたことでしょう。彼女の人生を感じる時でもあり・・・彼女は昭和7年生まれ(1932/12/5)で、私の母と同い年です。そのパワフルさに驚かされます。一つ年下の黒柳徹子さんとは昔からの友人で、2018年6月14日の「徹子の部屋」に出演されたようです。また、フジコ・ヘミングの半生を、フジテレビで菅野美穂主演ドラマ化され高視聴率を得たようです。終了後はコロナ対策で退場規制、係員の指示に従い、密にならないような退場で時間が掛かりました。外に出て、感想会と思いましたが、宣言で、開いているお店は見当たりません。家に戻り、私が「よく間違わないで・・・」と言うと、妻が「ちょっと違ったところがあったような・・・」と。また、ステージのバックに投影された光の模様がピアノの中の弦ように見え、気になりましたが、何か分かりません。・・・私、「老人と海」(1952年)が、頭に浮かび、つい、フジコ・ヘミングウェイと呼んでしまい、妻に叱られます。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フジコ・ヘミング、本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko,12月5日 - )出身はドイツ・ベルリン、国籍はスウェーデン、東京音楽大学・ベルリン音楽大学を卒業。日本とヨーロッパ・アメリカで活躍するピアニスト。父親はロシア系スウェーデン人画家・建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)。母親は日本人ピアニストの大月投網子。俳優の大月ウルフは実弟。歌手の橋本潮は従姪にあたる。幼き頃、帰国。以来東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事。クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛した。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演。たまたま来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛したという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:私たちは賢い人を雇う。次に何をすべきか教えてもらうために スティーブジョブズ】<フジコ・ヘミング><ピアノ><プログラム><徹子の部屋><本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ>