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今が生死

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2014.06.05
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カテゴリ:生き方
私の家内は習字を習い、絵手紙を習い、篆刻を習い、スポーツジムに通い、植木や庭の草花の手入れをして、家の中の片付けや掃除をして、料理を作ってその片付けもして大変忙しい。いつも忙しい、忙しいと言っている。
対照的なのはスポーツジムに一緒に行っている兄嫁である。スポーツジム以外は何もしていないので暇である。私の家内が買い物や何かの見学などに一緒に行かないかと誘うとたいてい「暇で何もすることがないので一緒に行ってもいいよ」と答える。普段も、暇だからと言って韓流ドラマをビデオに撮って観ていたりする。

同じ人間でどうしてこれほどに違うのかと思う。忙しくしているのがいいのか余裕があるのがいいのか分からないが、余裕がある方が韓流ドラマを観たりして人生を悠々と楽しんでいるようにみえる。

忙しくしている人は自分から忙しくしようと思っているわけではない。家内の場合は絵とか書道を好きでそれらを習っているとそれに関連する篆刻も習いたくなり、宿題も出される。庭の草花が枯れてきたら植え替えや水をやったりしなければならない。宿題の締め切りや草花の植え替え時期などは待ってくれない。外界や自然から忙しくさせられているのである。

習字や絵手紙を習うのを止め、庭が草ぼうぼうになってもいいことにしたら、あるいは忙しくなくなって余裕がでるかもしれない。でもそういう人は家の中や庭を汚れたままにはできない性分である。習い事を止め、庭や室内が汚れたままになっていても何もするなと言われたら、恐らく時間には余裕ができるかもしれないが、心が苦しくなって狂ってしまうかも知れない。

どちらが豊かな生活なのかはその人の心の持ち方にかかっているのではないかと思う。忙しすぎて大変だと思うこともあるかも知れないが、自分で好きでやっているならそれはそれでいいのだと思う。暇な人を羨ましがらないことである。





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Last updated  2014.06.05 22:35:18
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