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今が生死

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2021.04.14
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カテゴリ:テレビ番組
トキワマガリバナ

世の中に不満を持ったり可哀そうな人々の命を救ってやりたいと思っても多勢に無勢でどうしょうもないと思って世を過ごしてきた人達が圧倒的に多いと思う。
今朝、英雄たちの選択「渋沢栄一」の再放送を観た。栄一は21歳の時農家の倅なのに農閑期に江戸に出て剣術修行などをしながら仲間たちからの影響で尊王攘夷思想に凝り固まり、24歳頃には尾高惇忠、渋沢喜作らと60人位の仲間を集めてまず高崎城を襲って武器を調達して、横浜に進軍し外国人居住地を焼き払いその勢いで長州軍と連携して幕府を倒す計画を立てて、当に高崎城に突撃しようとしていた前夜(正確にはその前の夜か数日前かは不明だが当に突撃しようとしていた時)従兄弟の尾高長七郎も仲間に入れようと誘った時長七郎は猛然と反対した。「恐らく横浜にたどり着く前に高崎城で全員撃ち殺されるだろう、撃ち殺されなくても全員捉えられて打ち首になるだろう。止めた方が良い」しかし頭に血が上っている栄一達が聴くわけがない。自分体の後ろには沢山の同志達もいる、今更止めるわけにはいかない。しかし長七郎は必死だった。栄一始め何十人と言う若者たちをむざむざ死なせたくない。夜中じゅう口論は続きお互い殺し合いをする寸前までになった。しかし長七郎は自分の命はなくなってもいいから何んとしても栄一達を救いたい一念で多勢に対して一人で一歩も引かなかった。そしてとうとう根負けした栄一達が高崎城襲撃を諦めたのである。長七郎がいなかったなら栄一は死んでいただろうし明治以後の活躍はなかった。人の運命は分からないものである。その後栄一と喜作は謀反準備罪で捕らえられるのを恐れて京都に逃れたところで江戸にいた時に交流があった一橋家の家臣平岡円四郎に呼ばれて一橋家の家臣にならないかと言われた。栄一は悩みに悩んだ末に「自分達の命や別件の殺人事件で捕らえられている長七郎を救うことにもなるかもしれない」と思って自分達が倒そうとしてきた幕府側の一橋慶喜の家臣になることにして命がなくなるどころかその後の大活躍につながっていくのである。本人の努力もさることながら運がなければこんな人生は歩めなかったとしみじみ思った。






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Last updated  2021.04.14 11:05:23
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