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テーマ:理想の死の迎え方(44)
カテゴリ:生き方
明治9年(1876)50歳 W.S.クラーク博士
私は学部3年時への編入試験に合格して医学部に進学したがその時北海道大学と東北大学の両方に合格した。両大学とも国立の由緒ある大学だが私は北海道大学を選んだ。それは北大の前身、札幌農学校の初代教頭として赴任したクラーク先生が札幌を去るにあたって、生徒一人一人を激励した後、馬上からBoys be ambitious!と訓導して去って行った。それが農学校から北大になってからも校訓として続いており、その言葉に引き付けられていたのでその大学を選んだ次第である。 その言葉は有形無形にその後の学生たちに刺激を与え、私も大きな目標を持って学び、卒業してからもその心意気をもって生きてきた。 少年よ 大志を抱け!という言葉にはインパクトがあり、何度も挫けそうな心を立て直してもらった。 ところがである。81歳を超えた頃から目標がなくなってしまった。クラーク博士も60歳で亡くなった。死を待つだけである。大志どころではなくなってしまった。 周りを見回しても同級生の半数近くが亡くなり、たまに会うと「俺たちもいよいよ終わりだな」とか「これから何かをやろうという気は起きないよな」などの会話になる。長命の人が増えているがそれは自分で長生きしたくてではなく、自然に長く生きることになっただけで「こんなに長く生きて申し訳ない、早くお迎えに来てもらいたい」などと言っている高齢者が多い。 最近ある人がブログに「長生きするには頭と体を鍛えないと損すると言いたい」と書いていて長生きを望んでおり、そのためには頭と体を鍛えなくてはいけないと言っていた。その方は今何歳なのか知らないが80歳過ぎなら、長生きを積極的に望んでおり、素晴らしいと思った。 ご高齢の入院患者さんや周りのご高齢の方々と話をすると具体的な目標を持っている人は少なく、「自然の流れで枯れていくだけです」と思っている人が多い。頭と体を鍛えていこうと明確な目標を持って生きているのは老人の鏡だと思った。 私はすでに少年(boy)ではなくなった。「少年よ 大志を抱け!」ではピンとこなくなった。まぎれもなく老人である。しかし老人が大志を抱いてはいけないという法律はない。私は今後、挫けそうになった時は、Older people be ambitious! を唱えて生きていこうと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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