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テーマ:運がいい人 悪い人 (6)
カテゴリ:感動したこと
「ドクターのヒューマンドキメント誌」2月号の表紙の顔の人は元国立がんセンター中央病院院長で現魚沼市立小山病院の内科医長の荒井保明(71歳)さんだった。
そのドラマチックな人生には驚嘆した。もともと勉強はあまりできなくて山登りばかりしていた荒井少年は小説家志望だったがそれでは食べていけないと医学部進学を志し、2浪して東京慈恵会医科大学に入学した。しかしもともと勉強は嫌いだったので山登りやバンド演奏に明け暮れ、授業をさぼって麻雀荘に入りびたりの生活だった。 卒業はかろうじてできたが国家試験受験には待ったがかかった。大学別に合格率が公表されるので成績の悪い君が受験すると合格率が下がるのでやめときなさいと言われたとのことである。受験までに1か月しかなかったが生まれて初めて猛勉強して国家試験に合格した。 医師になり最初に厚労省に入ったが出向で国立東京第2病院で患者さんを診ることになった。ある時小児がんの患者さんと仲良くなった時、その子の世界はその治療室でそこで楽しく暮らさせてやることが大事なのだとひらめき、苦痛なくがん治療が行える方法について猛勉強を始めた。そして苦痛を与えないがん治療法(IVR)の第一人者となり、がんセンターの院長にまでなったのである。 荒井さんには2度死んでいたかもしれない危機があった。一度目は東京第2病院の時でヒマラヤの8000m級のナンガ・パルバット山を登頂していた時雪面に亀裂が生じてその中に飲み込まれて何千メートルも滑落し、後700m落ちたら確実に死んでいたところで何かに引っかかって運よく止まった。一緒にラーメンを啜った同僚は未だに死体さえ発見されていないとのことである。悪運が強かったからだと述べていた。二度目は愛知県がんセンターに勤めていた時B型肝炎の患者さんの治療中針を自分の指に刺してしまい劇症肝炎にかかってしまい、同じようなB型肝炎からの劇症肝炎で三重大学の医師たちが何人も死んでいた。荒井さんも自分の血液検査データーの推移からみてもまず死ぬだろうと思いその覚悟をしていた。最後の手段として全血交換輸血をしてみてくれることになった日に術前検査したら、血液検査が何故か改善しており、助かった。この時もなぜそうなったのか分からなかったが、悪運が強かったからではないかと思うとのことだった。 勉強嫌いな少年が、成り行きで医師になり、ある小児がんの少年との触れ合いの中で苦痛のないがん治療法を開発しようと発奮し、埋め込み式点滴拠点(ポート)の開発などでがん治療面で大きな功績を残した。最初から勉強ができて学者になった人もいるが、荒井さんのように君が受けると大学の合格率が下がるので頼むから受けないでくれと言われたダメ青年が、あるきっかけで一念発起すればこんなにも変わるものかと驚かされた。私を含め、世の出来の悪い人たちにも可能性があるということだなと思った。荒井さんは自分は悪運が強いと思っているとのことだが中野信子さんの本にも「自分は運がつよいと思いなさい」と書かれており、自分も悪運が強い人間と思おうかなと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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