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今が生死

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2024.05.01
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カテゴリ:付き合い

ジャーマンアイリス         チェリーセージをバックに咲くアヤメ(紫)

 義兄が本日、酸素ボンベを抱えて、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、スイカ、レタスを植えるのを指導に来てくれた。畝を切り、肥料を入れて、苗を植えるところまで教えてもらったが、途中で雨が降ってきたので止めて、義兄は息子に迎えに来てもらって帰っていった。続きは今度晴れた日に行おうと思うが今日しっかり教わったのでその時は自分達だけでも大丈夫だと思う。
 義兄は89歳位だと思う。私の姉と見舞い結婚して私達が両親と一緒に今の甲府の地に住むようになったら家の脇に僅かばかりの畑があったので耕運機を車で運んできて野菜を作ってくれていた。15年くらい前姉が脳梗塞になり、入院している間は毎日病院にお見舞いに行き、合間に我が家の畑にも来てくれていた。
 姉は8年前78歳で亡くなったが、病気で入院していた4~5年は1日も休まずお見舞いのために病院通いしていた。姉が亡くなってからも季節になると我が家に来てくれていたが、5~6年前から、アスベスト肺で呼吸が苦しくなり耕運機を運んでこれなくなったので、事前に私がスコップで耕しておき、ジャガイモを植える時とナスやキュウリを植える時に、息子に送ってきてもらって来てくれて、口で指導してくれたが、時には息が苦しいのに実際に鍬を取って畝の切り方を教えてくれる時もあり、その後は苦しくてすぐ家の中に入って長椅子に横になっていた。
 アスベスト肺になったのは21歳の時に電線製造会社に就職し、電線の絶縁の為にアスベストを使用しており、約10年間その仕事に従事していた結果だと思われた。
80歳位までは普通に生活していたがその頃から息が苦しくなり、病院で診て貰ったらアスベスト肺ということでそれがだんだん進行して今では殆ど寝たきりになってしまった。しかし毎日のようにヘルパーさんやリハビリの人が来てくれて、料理を作ってくれたりお風呂に入れてくれて洗ってくれたりしているとのことである。
 3月頃コーチしてもらって植え付けたジャガイモが今は青々と茂っており「よく育っているね」と満足そうだった。その畑の周りにジャーマンアイリスやアヤメやチェリーセージが咲いていたので写真を撮って冒頭に載せさせて頂いた。義兄は肺が悪くて自らは耕せないけれどもその指導力で野菜をこの花たちのように見事に生育させる力があるのだなと思った。おにいさんありがとう。





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Last updated  2024.05.01 13:31:38
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