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テーマ:遺伝子の不思議(21)
カテゴリ:生き方
40年以上毎年庭先で咲いていたザクロの花
シャクヤクやボタンは40年ぐらい前に田舎の両親がそれまで住んでいた家を売って甲府に建てた新しい家で一緒に暮らす時にその家で咲いていた花を新しい家の庭に植えたということは妻から聞いていた。 これはザクロの花だが先日妻から「これはおじいちゃんが田舎の家から持ってきて植えたものですよ」と教えてくれた。初めて知ったが40年も前の花木が毎年咲いていたのかと思うと不思議な気がした。そしてまた父がわざわざ何故このこの花木を移植したのかも知りたいと思った。特別な理由はなかったのかもしれないが、父が移植した花だと聞いて30年くらい前に亡くなった父のことを思い出した。 父は働き者だった。戦時中徴兵を免れた父は徴兵された家の田畑まで額にヘッドライトをつけて寝る間も惜しんで耕した。米俵2俵を積んだリヤカーが河川工事で橋を渡れなくて困っていた時リヤカーごと肩と腕で支えて川を渡らせてやったこともある。腕の筋肉は鉄のように固く、指はこん棒のようにささくれていてたくましかった。 その子である私は青白く、力が全くなく、すぐ疲れてしまう意気地なしだった。私は本を読むのが好きで働くのが嫌いだったが、父は反対で本は殆ど読まなくて働くのが好きでそれが趣味のようだった。体力や性格が真反対だったので遺伝子がつながっているのか疑問に思ったこともある。 高齢になり腰がくの字に曲がってしまっても重い石を軽々移動させていたが、私の方がずっと若いのに石をもちあげるどころかびくとも動かすことが出来なかった。 父は子供は宝物のように思っていて子供が学校にいる時に雨が降ってくると必ず学校に傘を届けてくれた。いくら忙しい時でも子供達に仕事を強制するようなことはなかった。晩年になって家にいるようになったら我々が出かける時は履物を用意してくれて帰ってくるとスリッパを準備してくれた。 私がアフリカ奥地の医者になりたいという気持ちをもっていることを知ると「家族を路頭に迷わせるから南方には行くな」とテープに吹き込んだりして何度も反対していた。最終的には妻の反対でアフリカ行きは諦めたが、行くとなったらそれなりに応援してくれたのではないかと思う。 最期は自宅で嫁に看病してもらいながら数か月後息を引き取ったが、私自身は何もしてやれず時々後悔の念に駆られることがある。しかし父は自分の身を案ずるような人ではなく、子供が立派に成人すればそれでよいと思っていたので、曲がりなりにも人様のお役に立つ仕事をさせていただいて、孝行していたのかもしれないと思うこともある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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