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テーマ:ベートーベン第九(24)
カテゴリ:嬉しかったこと
シバザクラは春咲く花だが庭を見たら今は深秋なのに咲いていた。 今年はベートーべンの傑作「交響曲第九番」が初演されてから200年の節目にあたる。最終楽章の「歓喜の歌」は日本でも大いに親しまれている。 16歳の時、最愛の母親を結核で失い失意の存底に沈んだ。21歳の時オーストリアの作曲家ハイドンに師事するため音楽の都ウイーンに渡った。彼は貴族の屋敷で演奏したり、ピアノを教えたりして生計をたてていた。しかし20歳代後半次第に音が聞き取れなくなってしまったのだ。音楽家にとって聴力を失うのは死にも等しいので次第に人前に出るのが少なくなり、密かに治療を続けたがその効果はなく、31歳の時には日常会話に困るほど聴力が落ちてしまった。1802年10月(31歳)に書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で絶望がもう少し大きければ、自らの命を絶っていたと記し、芸術だけが私を引き止めた。自分の中にあると感じているもの全てを生み出すまではこの世を去ることはできない」「忍耐、それを今私は自分の道しるべとして選ばなければならない」と述べていた。難聴以外に経済苦にも悩まされながら創作の手を休めることはなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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