責任の歴史
ウイキペディアに「責任の歴史」として次のように書かれていた。日本においては、何らかの悪い結果が発生した場合、責任者が辞任などによって責任をとることがある。これは歴史的に切腹が責任を取る方法として行われてきたことに由来する。責任を無理矢理とらせることを「詰め腹を切らせる」というのはその名残である。責任は私にあると言葉だけが走っても責任を取ったことにならない!具体的に責任を取るための行動が伴わなければいけないのでは・・・麻生総理は簡単に「私に責任がある」といわれたが軽いですねー企業の不祥事などなどで記者会見で雁首をそろえて誤るケースを多々見るがこれも頭を下げて誤っただけで・・・「ごめんなさい」「すみません」で見逃すから悪事が絶えなくなるのでは年齢に関係なく一読を薦めます↓