型に嵌められた日本人
朝の子供たちの交通安全活動は継続して実施している。「今日は疲れたから学校には行きたくない」と大きな声で泣き叫び母親に無理やり連れて行かれる近所の1年生の男の子がいる。子供たちと泥まみれになって夕方までよく遊ぶ素直な子供さんだ。母親は「遊んでばかりいるから学校に行けなくなるんだ」と子供を諭している。型にはめらることが良いのか、その日は休ませた方が良いのか、本質は良く解らないがいろいろ考えさせられる。型に嵌められた日本人は、表現や顔つき態度まで真の姿ではないような気がする。「つまらないものですが」「嗜む程度です」「まぐれです」「たまたまです」「見繕う」「出る釘は打たれる」とか英訳しにくい言語が沢山ある。それはそれで良い事だと思うがストレートで表現する方法も時と場合によって必要だ。英語を話しているのに「英語がしゃべれません」と英語で言う日本人。外国人と笑うタイミングが違う日本人。喜怒哀楽が少ない日本人。前例がないと踏み込めない日本人。上司の責任を追及しない日本人。自己主張をし過ぎると非難される日本人。士農工商の時代なら士における責任を取って取らされ腹切もあった。中途半端な開国で何もかもが中途半端な国になっていることは事実である。鳩山総理の態度、発言はやや世界に受け入れられる人のようだ。何もかもイエスマンであった過去の日本総理に外国は信用するはずはない。自己主張もあってこそ人間関係が醸成されるものである。日本人創りを外国人並みに変えるには相当な年数がかかると思うが早いうちに手を打っておいたほうがよいと思うが如何でしょうか。昨日の千秋楽喜びを土俵上で表現するのは朝青龍にとっては当然のことででそれを伝統だ、仕来たりだと言い、よくないと言うなら教育などとおこがましい事を言わず相撲界に外人を排除する事が先決のような気がするが中途半端な話で外国人に理解できるはずがない。先に記した小学生、自由に、自己主張が出来る、奔放な明るい子供に育って欲しい!!!