|
カテゴリ:日記
ここの地区の停電はかなり短時間だったようで、夜中には 電気がついたので、テレビ室やインターネット用にパソコンを2台用意して いただけたので、すぐにどんな状況かがわかりました。 余震は相変わらずでしたが、震源地が宮城県だけではなく、 茨城県、新潟県といろいろなところで起こっていたのにとても、驚きました。 断水は続いていましたが、ここのホテルはスポーツセンターが併設されていて、 プールがあったからか、トイレもバケツで水を流すことができたので、 とても、恵まれていたと思います。朝は温かいコーヒーと紅茶を 出していただけて、ありがたかったです。 今回の交通費やホテル代は事前に払っていたので、 私たちはあまり多くの現金持っていませんでした。 9時になって電気が復活しているから、もしかしてと思って、 ホテルの隣にある、土浦郵便局に行くと、ラッキーなことに ATMが動いていました。これでどうにか現金をおろすことができました。 朝になって、ビジネスマンの方たちは我孫子まで行けば、 上野まで常磐線が動いているというので、タクシーで出かけていきました。 道が混んでいて、7時半くらいに出たのに10時過ぎにやっと我孫子についた様子でした。 しかも、タクシー代も2万から3万くらいかかったようです。 そんなにはタクシー代に使えないし、どうしようかと思っていたら、 土浦からの電車が動き始めたらしいという噂が立って、残りの方たちも みんな駅に向かい始めました。私たちも駅に向かって出発しました。 ところが、駅に着くと電車は止まったままで、しかも牛久の方で陥没があって、 今日中の復旧はないということでした。 ホテルがいっしょだった人たちから、バスで水街道まで出て、そこから 常磐線の取出駅まで行ける電車に乗って、都内に出れるというので、 バスの長蛇の列に並びました。どうにかぎゅうぎゅうのバスに乗って、 水街道に向かいました。水街道までは普段はバスで1時間ほどですが、 今日はガソリンスタンドで給油の列が出来たり、スーパーの入り口に列が 出来たりしているので、もっとかかると思いますと、運転手さんがいいました。 ところが、あまりにもぎゅうぎゅうだったので、長女は40分ほどたったあたりで、 気分が悪くなり、しかたなくバスをおりました。貧血で顔の血の気が引いていました。 バスの運転手さんに聞くとまだ普通でも水街道まで20分くらいかかるといわれ、 少し行ったところに「みどりの駅」という駅があることを聞いたので、そこに向かいました。 そこはつくばエクスプレスの駅で、電車は止まっていました。 近くにkasumiというスーパーがあったので、とりあえず手巻き寿司とサラダを 買って、食事をしました。お茶や水が飲めて、座れるスペースがあったので、 助かりました。長女も食事をして、元気を取り戻しました。 またバスに乗るのは長女には無理かなと思ったのと、少しは距離が近づいてので、 ここからは、タクシーを使うことにしました。スーパーのサービスカウンターで、 タクシー会社の電話番号を調べてもらおうと思ったら、タクシー専用の電話が あったらしく、こちらで呼びますよとすぐに呼んでもらうことが出来ました。 ここから我孫子まではタクシーで1万円ほどだというので、我孫子に向かいました。 途中、運転手さんが取出の駅の方が近いですよというので、向かいましたが、 駅前はすごい人だったので、予定通り我孫子まで行きました。 我孫子の駅に着いてホームに行くとすぐに電車が来ました。 さっきの取出の駅の混雑は都内から帰ってきて、バスやタクシーを 待つ人たちだったらしく、上野行きの電車はさほど混んでいませんでした。 上野から何線が動いているのか分からなかったので、一度上野でおりて、 駅員さんに聞くと山手線が動いているというので、切符を買って、 ホームにおりると、またすぐに電車が来たので、スムーズに東京駅に 着くことが出来ました。夕方6時くらいに着いて、夜行バスは運行予定だというので、 8時40分まで、食事をしたり、休んでから乗ることが出来ました。 帰りのバスの揺れが余震のように思えて少し怖かったですが、 予定通り13日の朝、高松に帰って来れました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月15日 18時54分25秒
コメント(0) | コメントを書く |