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2008年05月14日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

今日は私が悩んでいる事を書こうと思います。

時々登場する私の祖母は1/22に骨折、翌23日に手術そして入院となりました。

入院以前は持病はありますが、デイサービスにも通え、歩くのに不自由ではありましたが介助無しでトイレに行ける状態でした。

祖母は私たちとは離れたところで実の娘(母の姉なのですが)家族と同居していました。

トイレの際に転倒して大腿部を骨折したそうなんですが...。

 

入院直後は高齢でもあるし手術を受けた事もあり、認知がどんどん進行していました。

4月に入ると足の傷も回復してリハビリもはじまり、自力で食事をし、会話も楽しく出来る日が増えてきていて、この頃から私は当初の病院から依頼されていた食事の介助と言うよりは人間らしく過ごせるように介助出来たらという想いで通い始めていました。

祖母の入院がスタートしてから私は日々、病院への不信感が募っていました。

おばあちゃんがお世話になっているのに...。

 

日々、病院の悪い事ばかりが目に付き始め母と二人で何とかならないか...。そんな話しばかり...。

ただ以前にも書きましたが様々な立場があるので想いだけでなかなか行動に移せないでいました。

でも骨折さえ治れば...と祈るようでした。

そんな矢先、祖母は疥癬を発症したのです。 

していたのです。

 

その段階で私たちは病院側からきちんとした形の説明もないまま食事の介助は続けていました。

私の中で祖母は『疥癬』なのでは...という不安が起こり始めたのもこの頃からです。

  (祖母の皮膚の症状などをネットの画像と比較して怖くなり始めていました。)

そうしているうちに4/19予想的中、『ノルウエー疥癬』と告げられました。

4/19に面会は控えてくださいと言われるまで数日間は2人部屋でした。

その日も私と母は食事の介助で祖母の病室にいました。

その日病院側からの説明はないまま、看護士から告げられ、それでも主治医との面談も無理だと断られました。怒ってる

その日の夕刻、伯母家族への連絡は事務方より保険外診療になる為の承諾を下さいという旨のみ。

状況で病状を悟れ...。って事なのか...。しょんぼり

 

翌週、4/26に私も3月末より気になっていた自分の発疹が心配になり受診、検査しましたが(-)でした。

面会を許されないままGWあの海を眺めながらいろいろ考えていたわけですが、5/9再度検査を受けたところ(+)が...。

私の疥癬は確定しました。しょんぼり卵が見つかりました...。

当日、主人と受診していましたが症状の無い主人はもちろん子供にも安息香酸ベンジル塗布は必要と医師に告げれられ、ショックでした。

私はストロメクトールの内服です。1週間後また検査、そして内服による肝機能のチェックもしなくてはいけません。

食事だとか肌に直接つける物は出来るだけ農薬の無い物を...だとか考えていたのに、農薬を内服...。農薬を塗布なんて...。

農薬...農薬...この言葉が頭をグルグル。号泣号泣号泣

娘は発症していないので予防の為の塗布が納得できず翌日受診、検査は(-)経過観察となりましたが、スキンシップも気になりますし、生活がぎこちなく、そして大雑把な私が神経質になってしまいました。ショックショックショック

なにより何も悪くない祖母がキツイ薬の使用でどんどん弱っていくなんて...。しょんぼり

 

そして昨日私は自分が発症したと言う事で、祖母の事だけではなく、病院についてと自分の今後治療を含めて家庭内での子供に感染しない方法と子供は潜伏期間なので、学校での過ごし方、様々な想いを保健所へ相談してみました。

内容は相談等よりクレームの様になっていまいましたが...。ぽっ 

  ・ 骨折しているとはいえ、10日間も服を着替えさせない。

  ・ 家族が清拭をしたければしてもよいと完全看護の病院の看護士から言われた。

  ・ 皮膚の状態が良くないので主治医と話したいと希望したら1週間前に予約をしてから面談と言われ、なかなか面会に応じて貰えない。

  ・ 術後の皮膚からの浸出液をガーゼではなく持参品の紙オシメでグルグル巻きに。

  ・ 祖母のサイドテーブルに使用済み注射針の置き忘れ3回。

  ・ 食後、パジャマの着替えを手伝っていたら体温計が布団から出てきた。(いつの?)

  ・ 輸血終了後の空袋を血液がポタポタ落ちているにも関わらずそのままナースステーションまで持ち帰る(当然室内、廊下には血液がポタポタ...。) 

  ・ 病棟内をむき出しの使用済み紙オシメを指先で摘むように持ったままタラタラと歩く看護士。

  ・ 食事介助で行くと20分待っても配膳の気配が無いので尋ねると4人の看護士が探したが祖母の食事は見つからず、配膳車から食事した後のお膳が...(謎)。誰かが介助したんだろう...との回答。納得いかないので4人の看護士と話し合いましたが、担当看護士がいないので仕方ないとの事。

と言う内容を保健所の方に聞いて貰いました。

どうしても言いたかった事の中で4日間、脳梗塞で体の不自由になられたおじいちゃんと同部屋だった事は私が見ていないので話せませんでしたが、母がいくらお願いしても部屋は替えて貰えなかったそうです...。

それから保健所の方からの回答は子供に関しては学校で行う日常生活、プールは問題ない。そして洗濯の仕方だとか飛沫感染は無いので大丈夫だとか主治医からの説明と同じ内容を聞き少し落ち着きました。

ですがプールは着替えを伴うので自粛しようと考えています。

 

 

現実問題、祖母の住む地域には病院がゼロのような状態です。家族との問題も有ります。強い気持ちで母や、私が連れて帰んだ!とか転院させる!と騒いだところで、保健所の方にも言われましたが疥癬を発症してしまった方の受け入れは何処も出来ないでしょう。との事。

まずは治療なんです。しょんぼり

私は祖母が亡くなってしまって話すのでは遅いと、昨日保健所に相談しました。

そしてみなさんにも...。

 

 

今日、保健所からの衛生指導があるそうです。

私はすぐ何か改善されるとは思っていません。ですが、少しでも動きが欲しいんです。

老人施設では多く発生してしまう仕方のない問題とも言われましたが、その地域にその病院しか無い場合、小さなお子さんから妊婦さんご年配の方、様々な方が来院される筈です。

以前ここの病院ではありませんが、私は出産時にMRSA感染症になり生まれたばかりの我が子はがMRSA腸炎で完治したのは1歳3ヶ月でしたが、病院に対して嫌な想いは残っていません。

きちんと説明をして貰っていれば誰でもなる可能性はあると思えるからです。

ただ今回は違います。ど~も納得がいかないんです。

 

長く長く想いのまま書いてしまいました。

不快な内容にも関わらずここまで読んでいただいてありがとうございます。手書きハート

私は介護の問題、医療の問題、無知で未熟ですがこんなひどい病院があるのか...と思いました。

入院している祖母は一人なのですが、院外では私を含め親戚、両親と疥癬を治療中の人は8人います。

まだ増えるかもしれません。

 

      

 






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最終更新日  2008年05月14日 14時39分04秒
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