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9日の午後、祖母は息を引き取りました。 母と私が最期を看取る事が出来ました。 母に珈琲を届けに行ってから祖母の亡くなる時間まで、祖母の意識はありませんでしたが、今までで一番、穏やかな時間を共に過ごせ、祖母の臨終に立ち会えた事を嬉しく思っています。 容態が悪化したと病院から連絡が入り、祖母が亡くなるまでの間、母の知っている限り24時間、医師は病室を訪れる事も無く、点滴が終わればナースコールでお願いし、命が消えかけている数分前に「おばあちゃん、息してる?」と主任が病室を訪れるまで主治医が不在という事で、祖母の容態をはっきり答えて貰える事も無く、病院に対しての感情は最後まで複雑でしたが、母と私の力不足で何も解決は出来ませんでした。 ただ、最期を静かに三人で過ごせた事だけが私達の今後に大きな力になると信じています。 それから、大変ご心配頂いていた私の疥癬ですが、祖母の通夜の日ようやく二度目の陰性診断が貰え、これで親戚皆、疥癬は一応落ち着きました。 内服薬による肝機能の方も今のところ治療する程の乱れも無く、次は体に残っているアレルギー反応の湿疹と痒みの治療となります。私自身の体質もありますので、半年から一年は治療を要するそうです。
祖母の件ではたくさんの励ましや参考になるお話しを頂いていたので、感謝の気持ちを込めて本当は違った形のご報告をしたかったので、少し残念です。 もちろん高齢ですので元気に骨折前の姿で歩いて退院...とまでは考えてはいませんでしたが、角化疥癬発症後わずか1ヶ月弱で祖母は急速に悪化し会話も出来なくなるまで衰弱してしまいました。高齢ですので仕方のない部分は多いですが、「疥癬なんてやっかいな患者を...」などと医師や看護士に言われながら見舞う母や、何より独り居る祖母を想い、私なりに動いていたのですが最期は自分達の信頼出来る医療施設なり自宅で...と言う希望は叶いませんでした。 連日、三重県の点滴を作り置きしていた病院の報道がされていますが以前なら信じられない...と絶句していた私ですが、今は違います。 もし間違った事をしている方は一刻も早く正して、真面目に治療している患者と一人でも救おうと命がけで医療に携わる方々の邪魔はしないで欲しいと願うしかありません。
私は、祖母に『大切なもの』を最後の数ヶ月でゆっくりゆっくり教えて貰ったんだな...と感謝しています。
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