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カテゴリ:笑い療法士
笑い療法士 とはなにか?
『癒しの環境研究会』より勝手ながら転載しました。 笑いには、微笑から大声を上げて呵呵大笑するまで、いろいろなレベルがある。免疫が高めるには、ガハハと、大声で笑う必要がある。でも、面白い格好をして、パフォーマンスでみんなを笑わせようとするのを見て笑うのは、もともと笑いたいと思っている元気な人だ。しかし、多くの患者さんは苦しみを抱えていて、笑おうと思っても笑う状況にない。そういう人たちが本当に心から笑えるような場と空気を提供するのが本当の医療提供者であり、福祉のケアをする方だと思っている。 とかく癒しといえば、途端にモーツァルトの音楽であったり、リラックスとか緑の安らぎとかいう話になる。もちろんそれもいいが、元気になるというのも癒しだ。痛くないこと、苦痛をなくすことが医療であるなら、患者さんでも笑いたい。あたりまえのことではないか。 第1回の認定で2日間の徹底的なトレーニングを行なって、49人の笑い療法士が育った。医者もいれば、看護師さんもいれば、ケースワーカーもいれば、一般の人も、定年後の人生に掛けるという人もいる。がんの患者さんもいた。その1人は「私は患者です」と言っていたが、別の患者さんがいたことは私も知らなかった。あとになってその彼女が言った。「普段は、包丁で刺されるみたいに、あちこちが痛い。だけど、研修会のあの2日間は不思議なことにちっとも痛くなかった。終わってから、また包丁で刺されるような痛みが戻ってきました」。私は、笑いが足りない、修行が足りん、もっと笑えと指示書を出して彼女を見守っている。 患者さんすべてが、笑いを必要としているとは思っていない。コミュニケーションをとりたいと思っているとは限らない。でも、一緒にいても安心と思ってもらえることで、コミュニケーションの第一歩ははじまる。 まず、一緒に存在してもよいと患者さんに思ってもらえることが重要である。それで、はじめてコミュニケーションが始まる。基本は、あなたのことが好きよ、というテレパシーを送ることだ。人間の口とは、唇とは、なんてチャーミングな器官だろう。ニコッと笑うと、「あなたのことを愛しているわよ」というウェイブを送ることができる。暖かな微笑みも、げらげら笑いも、人を支える力をもっている。 人間の口とは、唇とは、なんてチャーミングな器官だろう。ニコッと笑うと、「あなたのことを愛しているわよ」というウェイブを送ることができる。あたたかなほほえみも、げらげら笑いも、人を支える力をもっている。 でも、笑いならなんでもいいわけではない。「痛みを増やす笑いがあります」と笑い療法士のキャンディデート(候補者)たちに私は言った。お笑いブームの芸人さんたちは突っ込みがボケをたたいたり、いじめたりする。心の優しい患者さんは、それを見ただけで胸が痛む。笑えない。病気をネタにしたり、赤の他人をおとしめたりも痛みが増える。夫や妻の悪口は、話をしている本人の人間性を疑わせ、聞き手の気分が悪くなる。個人攻撃も、自虐ネタもだめである。もちろん患者さんや病気のことをネタにしてはいけない。 結局、何が大切かというと、笑える環境というのがいるんだということだ。私は癒しの環境として五つの項目をあげている。「安全」「リラックス」「(医療の)質がよいこと」「元気になること」「生きがい」がそれであるが、これは笑いでも同じことである。人間としての権利が守られていることを実感して、もう大丈夫、安全だと感じることなしに人は笑えない。患者さんは普通、手術台の上で笑わない。でも、ここで「あら、落っこちないようにちゃんと止めてあるから、大丈夫よ」って言ったら、患者さんは拘束されているにもかかわらず、「ああ、よかった、先生よろしく」笑ってくれるではないか。ほっとしてほほえみ、納得して、そして、げらげら笑って、元気になっていくことができる。 笑い療法士とは、「患者を尊敬し、患者の心に寄り添って、笑いを感染させる人々」のことなのである。患者さんが笑い療法士にもなれる。それが生きがいにもなる。笑い療法士が国家資格に認定され、日本中で100人に1人が笑い療法士になると、日本の国も明るくなることだろ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.02 12:17:15
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