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洋の東西を問わず
古代、支配者が支配者 足り得たのは 雨を降らすことであった… 逆説的に言えば いざというときに 雨を降らすことのできない支配者は その座を奪われていった… そればかりか 民によって死を宣告された… 話は変わるが わずか11メートルの距離である PKを外し日本のベスト8は 露と消えた 自分はサッカーをしていたので、 11メートルはTVの画面で見るほど、 遠い距離ではない 高さの11メートルは高く感じるが、 平面の11メートルは本当に目の前である が、外した… 40台から50台半ばまで 小学校のサッカーコーチをしていたが、 若い頃、自分がサッカーをしていた頃は リフティングの回数を競うこともなく イングランドやドイツのサッカーを つまり、個の強さでゲームの勝敗が決まる サッカーである それはフィジカルもメンタルも 強いということであるが サッカーの発祥の歴史を見れば それがホワイトカラーからではなく ブルーカラー(労働者)から生まれた スポーツだということを意味している コーチをしていたとき 思ったのは この世代はいろんなスポーツを すべきで、 この世代から、サッカーに特化させる 必要はない… 細かいことを教え込むのではなく 何故ならサッカーに限らず 好きこそものの上手なれで 大人から言われなくとも 好きであれば 人はいかようにも努力するのである ということである だから、コーチという存在は 子供たちにサッカーは楽しいと いうことだけをミニゲームを 通じ、教えることに腐心した… 日本の教育は 明治の初めより、 教育の均等を 教育の均質に 見事にすり替え どこを切っても金太郎のような 生徒を作り出してきたが 今回のワールドカップのメンバーは違っていた が結果としては「新しい景色」を 見ることが出来なかった いわゆるデュエルもインテンシティも 他国にくらべ遜色はなかったが こうなると メンタルについて考えてしまうが PKは運である 深く考える必要はないのかもしれない… 私たちのrain makerは 雨を降らし 雨を降らしたがゆえに さらに民の期待を膨らました 民とはつねに ある意味、残酷な一面を見せるものである… 物事には どんなに努力しても 運否天賦はある だからといって 神は自らを助くるものを助くのは 生きていくかぎり 継続していかなければならないのだろう… 今宵何か、とりとめのない文章になってしまった… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.15 22:19:53
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