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この春にかけて
自分が受け持つ演習の授業で ラフカディオ ハーンの「耳なし芳一」 や「雪女」を英語の長文練習として 中学生と読んでいた 彼は明治の中期に日本に 特派員として来日し 数々の古き伝承や民話をもとに それらを書いたのであった そこに敗者の凄烈な美学を 感じるのは自分だけであろうか? 数週間前 スーパーの買い物帰りに 古本屋の前を 何気に通りかかると 小泉八雲随筆集があった 言うまでもなく ラフカディオ ハーンの日本名であるが 店頭に出ているということは いわゆるゾッキ本だが これも何かの縁と思い買ったのだが 明治中期に外国人から 見た日本ないし日本人の 美しさや奥ゆかしさが よくわかる… 武士もまた その既得権を奪われ 廃仏毀釈の混沌の中で 全てが「刷新」し 恐らくは 今がどのような時代であるのか など振りかえる時間の余裕もなく 西洋化していく時代の中で それとは関係なく ローカルで 当時を生きていた庶民を 見事に描写している… イギリス人に雇われた 老元武士が、主人にあることで叱咤罵倒され それでもお辞儀し、微笑した イギリス人は それを見てますます怒り 老武士を殴った その瞬間、 老武士は刀を抜き イギリス人の頭上で止め 一瞬のうちに鞘に収め 暇をいただき 家で自害するくだりは 考えさせられる… このイギリス人は自分の非を 認め、かの武士の家族に厚く 経済的な保証するのだが 社会的な名誉と 心のうちの名誉の違いに 東洋と西洋の違いを感じてしまう 幕藩体制崩壊後の 武士の生きざまを 考え 八雲の見た日本人の 卑屈ではない微笑は まだ我々日本人にあるのだろうか… そして八雲の見た 往時の瀬戸内の海や 日本海の美しさは 到底、今を必死に生きる自分には わかるよしもない 「無常」とは この世には不変(変わらないもの)ものなど何もない ということであるが、 要は きったはったの 渡世の中で 人もまた 「無常」の一部であることを 認めるのか 認めないのかで その人の生き方がかわる ただそれだけのことである… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.07.19 15:29:02
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