藤井聡太王位が解いた「200年前の詰将棋」に残されたナゾ Part1
興味深い記事を見つけた。要約すれば次のようになる。将棋の藤井聡太王位が今月9日、静岡県牧之原市を訪問した際、市内の旧家で今春見つかった200年以上前の詰将棋(つめしょうぎ)が披露された。藤井王位が一目で解いてみせたこの詰将棋に、解答とは別の謎が秘められていたことが、その後の調べで分かった。愛好家が「約20年ぶりの大発見」と興奮し、藤井王位も「気づかなかった」と驚いた、図面に隠された秘密とは―。発見されたのは図1の詰将棋。作者は「仲平」とだけあり、どういう人物かは不明。図面の横に「文化午大小」と記され、文化7年の午(うま)の年、つまり1810年の作と分かるが、解答は書かれていない。将棋のできる職員が解こうと挑んだが、歯が立たず、「詰将棋の得意な藤井王位の力をお借りしよう」と考えたそう。用意された将棋盤に、職員が古文書の通り駒を配置すると、藤井王位は一瞥しただけで、あっという間に玉を詰ませてしまった。そして「後半は複数の詰まし方がある」とも指摘。作者の想定とは異なる詰め手順(余詰、よづめ)が複数あり、不完全作になっているとのことだった。しばらくして顔を上げた藤井王位は「持ち駒に歩がなかったら、完全作と言えますね」とつぶやきました。つまり元の図面で「角・香・歩」の持ち駒が「角・香」になると余詰の筋が消え、きれいな21手詰めとなるのです(図2)。200年前の詰将棋が、藤井王位の手によって生まれ変わった。更に盤上には一つの謎が残った。それが玉方(後手)の「7二歩」の存在。 続く