テーマ:地元再発見!(906)
カテゴリ:地元339
1590(天正十八)年に現在の埼玉県行田市にあった忍城を豊臣秀吉軍が川をせき止めて孤立させた「水攻め」。この水攻めの再現をコンピューターのシミュレーションで試みた研究成果を解説する講演会が、今月五日、市郷土博物館で開かれた。 講師は東京都立大学術情報基盤センターの特任准教授、根元裕樹さん。博物館が九月三日まで開催中のテーマ展「描かれた忍城」の一環で企画し、県内外から約八十人が来場した。 根元さんの専門は地理学。コンピューターを用い、豊臣軍が現在の岡山県にあった備中高松城で行った水攻めも研究した。 講演で根元さんはまず、備中高松城の水攻めを例に取り研究手法などを解説。これまで地理学による研究がなかったという忍城の水攻めの研究成果に移った。 忍城の水攻めでは、豊臣軍を率いる秀吉の側近、石田三成が十数キロという堤防「石田堤」を築き、洪水を起こしたと伝わる。石田堤は一部が現存する。 研究では、現存部分や現地調査、関係図、古い航空写真、文献などから石田堤が築かれた位置を推定。まず石田堤がない場合に洪水の状況をシミュレーションすると、水が抜けてあまりたまらないと分かった。 石田堤がある場合では、水攻めができる洪水が発生する一方、本丸一帯に当たる中心部は土地が高くて水没しないと判明した。忍城は水攻めを受けても落城しなかったため、「浮き城」という別称があり、これを裏付ける結果となった。 根元さんは「忍城の一帯は洪水の常襲地域。当時の利根川と荒川の水を引き込めば、水攻めは可能だった。地域に残る逸話として、ロマンと洪水に対する意識を大切に守るのが良いのでは」と来場者に語りかけた。 事前に知ってたら、絶対に聴講に行ったけどな。事後に知ったのが残念!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月20日 13時25分39秒
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