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カテゴリ:子育ての思い出
おはようございます。5月10日。 愛鳥週間(~16)の始まりです。 誰かも同じ自問をされてましたが、結構な時間をかけて毎日更新することの意義を自分で確認できないと続けていくことが困難です。 ただ単にランキングに入りたいといった理由だけでは私はエネルギーが持ちませんから。しかしまた、誰も見てくれてない、となるとこれまた、続けて書いていく元気も出ません。 そこで、よーく自分の心の中を照らして、考えてみました。 やはり、自分が生きた証として、次の世代、子供の世代に、何か少しでも教訓になることを、自分の生涯の失敗と成功談を残してやることが、目的なのだということに気がつきました。 だから、肩に力をいれずにあったこと経験したこと、うれしかったこと、悲しかったこと、みんなひっくるめて、思い出して書きとどめていこう、そんなふうに思います。 子育ての思い出 について、しばらく思い出して書こうかと思います。 皆さんがいつかは通る道、今歩いておられる道そしてもう過ぎてきた思い出の道 コメントなどで、いただいたご意見を発展して、皆さんとともに書き広げていけたらと思います。
初めての子供が生まれたときのこと。皆さんはその日のこと、覚えていますか?生まれてきた子供を手に抱いて、自分は目くるめくような心の底から湧き上がる深い喜びに包まれたことを覚えています。これは、それまでに味わったどんな感情とも違う精神的な感動でした。 1984年の2月13日のことです。生まれそうだからといって夕方から病院に行きました。昼間の自分の医者としての仕事のあと、自分の人生が変わる瞬間をわくわくしながらも、半分不安に満ちた気持ちで迎えようとしていたわけです。 職業柄むろん、出産のリスクも最大限知ってますから、最悪なにが起こりうるか、心配もしていたわけです。 新米のお父さんになる経験は、およそみな同じでしょうか。 夜半が過ぎて、今日はもう生まれませんから、との言葉を聞いて、帰宅してその深夜14日に私の子供は、生まれました。たった一人で狭い産道を、頭蓋骨を変形させて、呼吸を止めたまま通り過ぎて、この世に出てきたのです!無事に!! こんなに神様に感謝したことはありません。駆けつけたときには、無事出産の大仕事を済ませた家内の、出産台の上の疲れた姿と安堵の顔と。なんだか、感涙だか冷や汗だか噴出した感情とともに渦巻いて時間が停止していたようにも思います。 男にはどうしてやりようもない嵐のような押し寄せる幾たびもの陣痛の苦しみをこらえて生んでくれた家内の手をただ握り締めていたのでした。
それが長男の誕生でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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