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(2011-,モーニングKC,講談社)
南Q太さんは,本人の意思はともかく読者の間では,岡崎京子のフォロワー,代用品とみなされていた節がありました。人によってはミナキューの方がいい,という人もいました。 岡崎さんは良くも悪くも80年代の人らしく,既存の物語の枠組みをしっかり作りながら,あくまでその内部で狼藉をやってみせた。たとえばタンタンみたいな絵柄のキャラが,いかにもおしゃれで無邪気な生活をしていたかと思ったら,薄皮一枚下に潜む暴力と欲望がぺろりと剥けて,セックスとバイオレンスが暴走しだす。 対して南さんは,あくまでリアルでした。特に盛り上がらせるでもなく,特に焦らすでもなく,現実のおしゃれな男子女子や,現実の薄汚い男子女子を登場させ,現実にいかにもありそうなセックスとその顛末を描いた。お話の中心にセックスを据えながら,その前後左右で生起することなら何でも,ドラマチックなことも,ぜんぜんドラマチックじゃないことも,分け隔てなく描いていた。 * 「ひらけ駒!」をはじめて読んだとき,何じゃこれはと思わず口走りました。以前の南さんを知らない方は違和感もないでしょうが,知ってる人は若干戸惑ったことでしょう。 こんな可愛らしい息子さんを,こんな才能のありそうな息子さんを出しながら,いつどうやってこの物語の中にセックスが入ってくるのかしら...! こんなホンワカした家庭に,もしやあんな生々しいアレが.,南さん,さすが汚い,さすが南さん汚い(若干の期待とともに)! ..とか思ったのですが,結論として汚かったのは私だけでした。 淡々と宝君とママの将棋をめぐる日常が廻ります。そこにはヒカルの碁みたいに,運命のライバルとか,師匠と弟子の相克,などの娯楽大作的な枠組みはありません。それでも,単なる日常ほんわかストーリーにはならず,何とも面白く予想のつかない,リアルな人生の物語になってます。南さんさすが素敵。さすが南さんかっこいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.04 23:56:56
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