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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
善業・悪業はしばしば功徳と悪徳と置き換えられる。
これは、これこれの行為をするとこれだけの功徳が積めると 数量的に理解されやすいからともいえる。 この功徳の意義は大きく、死後の世界、死の恐怖の克服 功徳を積むために布施とか正しい行為をしなくてはならない それが人としてあるべき姿と受け止められている。 実際、この頃の営みは仏教本来の信仰の生活よりも 輪廻を前提とする功徳をめぐって人々の社会生活は行われていたようだ。 し か し お釈迦さんは、現世における苦と不安の解消を目指した人である。 だから、お釈迦さんの教えでは 死後の命運・世界は大した重要性はもってないのだ。 それゆえにお釈迦さんは、出家者には功徳を積んで 死後に天に生まれる事を望むなと説いている。 古代の仏教文献も 「功徳→生天」は世間レベルでの善業であり、 出家者の修行である「梵行→涅槃」は出世間レベルの善業であるとし、 両者の間に宗教レベルの差があることを自認しているのだ。 現世に心の平安を求める涅槃の生き方はお釈迦さんの教えの本質だ。 また功徳を積んで、幸せを願う生き方は、庶民に受け入れられやすく発展した。 この2つは対立するものではなく 背後に潜む歴史性を認識しながら、こちらが受取る必要性があるだろう。 *涅槃とは煩悩を火にたとえ、その火が吹き消された状態、 安らかな悟りの境地をいう。 また生命の火が吹き消された、の意味で死のことを言う。 例えば、お釈迦さんの死を指して「涅槃に入る」など。 のち、悟りの境地をとしての涅槃を実現した釈迦仏も、肉体を持っている限りは 老いや病などの苦しみからまぬがれ得ず、死去(入滅)ののち、 より完全な涅槃である「無余涅槃」が得られたとされるようになり、 これに伴って、煩悩は断たれたが、まだ肉体上の束縛を残している状態を 「有余涅槃」と称するようになった。 ↑ プログランキングに参加中、有余涅槃を目指してクリックをお願いします。 ーーーーーーーーーー 追 記 ーーーーーーーーーー 小学校一年生殺害事件の犯人が捕まりました。 いろいろな推理がなされていましたが、ダンボール箱のコンロから コンロを買うのは最近引越ししてきたのだろうという 予想をしていた人がいまして、その通りでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月30日 12時04分06秒
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