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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
< 西国巡礼中興の祖、悲運の天皇、「花山法皇」について >
今回は、番外編として、西国三十三箇所巡礼を徳道上人以来 270年ぶりに復興させた花山法皇のエピソード。 968年に、此の世に生を受けた師貞親王(のちの花山法皇)は 円融天皇の後を継いで、17歳で第六十五代天皇となったが わずか2年で退位し出家した。 この悲劇は藤原氏の栄華を描いた「大鏡」に記されている。 17歳の天皇は、叔父の藤原義懐(よしつね)らを重用、政治刷新を計る。 まあ、どこにも敵対勢力はあるもので、藤原兼家は花山天皇を退位させ 自分の孫にあたる「懐仁(つねひと)親王」を皇位につかせ 自身が実権を握ろうと画策していた。 この頃、天皇がもっとも愛していた弘徽殿女御(こうきでんのにょうご)が 8ヶ月の身重の体で病に伏し、亡くなってしまった。 激しく取り乱し、悩み悲しむ天皇に、藤原道兼は 「愛しい弘徽殿女御さまの供養のために、天皇の位を退いて出家なさるのがいい」 と口説き落とす。 986年6月23日夜、道兼は「自分もお供して出家します」と 言葉巧みに内裏から連れ出し、山科の元慶寺に送り込んで剃髪得度させた。 しかし、道兼は剃髪の儀式を見届けるとすぐに退散した。 花山天皇は、ここで初めて騙されたことに気付き悔しさと悲しさで号泣。 先に最愛の女御を失い、信頼していた側近にも騙され皇位を失った 19歳の花山法皇は、失意のどん底に陥った。 その後、幾人かの上人を 伴って、西国巡礼に旅立ったといわれる。 10代で愛する人を失い、感情が揺れ動いている天皇を、サラッと騙す藤原道兼 花山法皇は40歳で亡くなるが、芸術家肌だったのか 素晴らしい芸術品を遺す一方で 花山法皇の奇行を描く「大鏡」「古事談」などがある。 ↑ プログランキングに参加中、法皇の悲しみに触れ、クリックをお願いします ーーーーーーーーーー 追 記 ーーーーーーーーーー 16番清水寺では、ライトアップ作戦による夜間拝観で人集めをしていますが 期間は、3月下旬~4月中旬、8月14日~16日、11月中旬~12月上旬 時間は、18:30~21:30、拝観料は400円。 ホントに美しいライトアップ作戦、三重塔がまた綺麗綺麗。 どうせなら、金銀の飾りを散りばめ、塔のてっぺんに星をつけて Xmasツリーなんて、どうでしょう? 夜間拝観もクリスマスまでどう? 私は、かなり罰当たりなこと書いてますね、清水の舞台から飛び降ります(笑)。 トップページにミニゲームを追加しました、暇つぶしにどうぞ。 また、点数や時間は自己申告制で掲示板に書いてくれると面白いかも。 「 晩秋の清水寺 」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月30日 18時17分34秒
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