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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
< 森・山と社 >
縄文時代、日本列島の9割を覆う「森」の中で、採集・狩猟・焼畑農業を 行っていた古代日本人、弥生時代になると、平地の森を拓いて定住した人たちが 水田稲作を営んだ。後ろにそびえる山は、「里山」と呼ばれ、防風・水田に必要な水 を送ってくれることから、カミのいる聖地と崇めていく。 古代人はカミは姿を見せないものとして、 自然物をカミの依代(よりしろ)と崇めていたが、やがて、 里山の中でも特に古い部分をカミの居所として崇める信仰が育まれていった。 万葉集では「森」「社」「神社」のいずれも「モリ」と訓ませており また新撰字鏡(平安初期)では「杜」「毛利」「佐加木」を同義としている。 この「佐加木」は、祭りのときにカミのよりましとして使う「榊」のことだ また東北や四国などでは標高1000メートル余りの高い山も 森と呼んでいたり(例:西高森、雨ヶ森など)、 東北では黒森山などに見られるように森山などの呼称が見られる。 つまり「森」と「山」が同義で用いられているのだ。 「森」「杜」「神社」「毛利」「榊」・・・ 古来日本では森や山はカミのいます処、あるいはカミの世界と里との境界 両者を取り持つ聖なる場所とされてきたのだろう。 次回は「森におはしますカミ」です。 ↑ 自然とカミの一体化、クリックをよろしくお願いします。 安価な労働力を当てにした企業による移民誘致により、豊田や浜松、三重などでは 移民が多くなり、%では3前後という数値を出しています。 それにしても、一部のおバカさんのために全体が貶められる構図は変化しませんね 残念ですが、日本国籍を有しないすべての外国人は、指紋押捺は義務化して 入国管理を厳しく審査制限する必要が出てきたかもしれません。 ピサロ容疑者は「悪魔が入ってきた」と証言しているようですが 日本では「魔が差した」と言うのです、立派な犯罪心理ですよ。 <榊、一束150円・・・安い> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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