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カテゴリ:歴史・戦史
昭和17年6月のミッドウェー海戦において航空母艦の大半を失った大日本帝国に イギリスの植民地支配からの独立を願い、チャンドラ・ボーズが日本に支援を要請 してきた。 日本軍はインド国内の反イギリス勢力の支援と、混迷する戦局の打開 を図るべく、三コ師団により要衝インパールの奪取を目指した。 作戦にはこの三コ師団のほかに、ボーズが率いるインド人志願兵15000人から なるインド国民軍(INA)も勇躍参加した。 3月から始まった作戦は成功し、日本軍はコヒマ、モイランそしてインパール周辺 まで進出、インド国民軍も日本軍とともに行動し、コヒマとモイランに進出、念願 のインド三色旗をインド国領土内に翻したのである。 しかし、イギリス軍の抵抗は頑強で、戦線は膠着、さらに空輸により潤沢な補給を 行い、反抗を加えてきた。 日本軍は食料弾薬ともに杜絶し、6月、撤退を余儀な くされる。 インパール作戦での死者は食糧補給断絶による餓死と風土病によるも のが大半を占めた・・・。 兵士が戦わずして死んでいく悲しい作戦であった。 戦後イギリスは「インパール作戦に参加したインド国民軍は、イギリス皇帝に対す る反逆者」として、3名の将校を極刑に処そうとしたが、これがインドの民衆の怒 りに火をつけた。 抗議運動はインド全土に広がり、イギリスは事態収拾困難とし 統治権を譲渡、インドの独立は戦後わずか2年で達成されたのである。
インパールとガダルカナルは・・・ インパール作戦参加数 日本軍 78000人 戦没者数 49000人 インド国民軍 15000人 3000人 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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